2002年7月24日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.5
北京で妊婦を経験したり、小さな子どもを連れて歩くのに慣れてしまうと、日本に帰るのが怖いと話す知人が多い。 北京で朝ラッシュの地下鉄やバスに乗るとき、ホームやバス停に溢れんばかりの人混みや、開くドアに一斉にどっと群がる状況を見たら、ドサンコの多くは恐れをなすに違いない。 東京の地下鉄で通勤ラッシュを経験した私でも、ここの通勤ラッシュの地下鉄やバスに乗る覚悟と勇気を持つまでに時間を要したし、今でも極力ラッシュの時間は避けている。そんな”戦場”に、妊婦や乳飲み子を抱えた人が乗車しようなんて無謀に思えるかもしれない。しかし実態は逆だ。特にバス。お年寄りや妊婦、乳飲み子が乗車してくると、若い人が当たり前に席を譲る。誰も気づかないときは車掌が促す。私も自分のお腹が目立つようになり、バスに乗るのが大好きになった時期がある。必ず座れるからだ。私は「謝謝」と言って、なかば当然の権利を獲得した気分で、気兼ねなく席に座る。乳飲み子を抱えていたときもそうだった。ちびを抱っこして、折り畳んだベビーカーを右肩からさげ、おむつや着替え等の入ったママバックを左肩から下げてバス通勤していたときなど、乗り降りのたびに何人の手を貸してもらったか数えきれない。 バスや地下鉄が代表的な例だが、妊婦や幼児を連れているだけで、いろんな場面で周囲に守られていると感じられるのだ。 誰もが子どもを大切にする。 レストランなどでは、スタッフたちも子どもに配慮してくれるし、周囲も「子どもがすること」とかなり大目にみる。 子どもが少し大きくなって悪さをしたとき、私がアタマをポーンと叩いたら、周囲の通行人から「子どもの頭を叩くなんて何事だ」と責められたこともある。 みんなが妊婦や幼児、お年寄りを自然体で大切にできる文化がここにはある。 残留孤児が生き残れたのも、中国だったからかもしれないとつくづく思う。(おわり)