100:中国人とスマホ

2017年7月11日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.100

6月18日、フィール旭川7階で「いろんな角度から中国に触れよう」という集いが開催された。私はイベントでは常に裏方で、人前で講演するのは初めての経験だった。伝えたかった内容が、果たしてどこまで理解してもらえただろうか。早口で聞きづらかったと思うが、最後に旭東高のM教諭がわかりやすく総括してくださったのが救いだった。

私が特に伝えたかったのは、中国の変化のスピードだ。三年前とはまるで別の国なのだ。GDPが日本の3倍と言われる国は、すでにいろいろな面で日本より進んでいる。実際に見て体験しないと、その凄さは実感できないだろう。

講演当日、時間の関係で説明不足になった部分をここで補足したい。

まず「決済システム」について。いま中国ではスマホアプリのAlipay(アリペイ)またはWechat(ウイチャット)で、日常のほとんどの支払いが可能だ。スキャンするだけで送金が完了するため、手間も時間も釣り銭も偽札の心配も不要で、返金もスムーズ、外出時に現金を持たない生活になりつつある。

(Alipayの画面)

レストランも、ほぼすべての店でスマホで決済可能で、注文と決済の両方がスマホでできる店も増えてきた。

(Wechat の”お財布”画面)

カードでの支払いが、偽造や紛失、決済までのライムラグなどがあるのと対照的だ。個人への振込も口座番号が不要で、ネットバンキングより格段に便利。タクシーも旅行もネットショッピングもケータリングも、自動販売機や市場での買い物まで、なんでもスマホで手軽に決済できる。北京に戻って見た広告の文章「近い将来、コインは使うものではなく、収蔵するためののになる」が現状を象徴していると思える。

次に、「中国人は病院でもどこでも携帯電話で大声で話す」について。

中国では病院、レストラン、またバスなどの車中で携帯電話を使ってはいけないというルールがない。騒音があればより大声で話すのが自然の流れだ。

特に病院では、緊急事態が発生したら連絡するのが当然で、逆に日本の病院で携帯電話を使えないことが「なぜ?」と話題になった時期があった。

各種会員カードやポイントもすべてスマホの中にある。中国人にとって、いまやスマホは「生活の一部」だ。スマホを制するものが中国ビジネスを制する、と言っても過言ではないかもしれない。(おわり)

 

99:中国の大学入学試験「高考」

2017年6月13日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.99
 今年も「高考(Gaokao)」の季節がやってきた。
 今年は六月七日からの二日間(地域によっては三日間)、特別な時間が流れる。夕刊紙「法制晩報」によると、今年北京市内で高考を受けるのは六万人。九十二カ所の試験会場が設定されたそうだ。
 高校生が脇目も振らず毎晩深夜まで勉強する真剣な姿を見ると、頼もしさよりも悲哀を感じる。なぜなら、留学という選択肢が持てない家庭では、高得点を取って名門大学に入学することが、一生を変える唯一の突破口だと信じられているからだ。だから高考は、本人だけのものではなく、家族にとっても最重要なのだ。
 試験会場周辺の交通整理、付近での騒音やクラクションの禁止など、まち全体どころか国を挙げて受験生に配慮する。かつて遅刻しそうな受験生を送るために信号無視したタクシー運転手がいたが、許される空気だった。とにかくこの期間は、無関係の市民ですら、受験生のために協力するのが当然だ、という雰囲気に呑(の)まれる。
 そんな国民的な重要試験で、絶対にあってはならないのが不正だ。しかし、これまでも試験問題が漏洩したり、替え玉受験という問題が起こってきた。そしてIT時代のいま、ハイテク機器を駆使した不正が行われる危険性が高まっている。
 主催者側も必死だ。北京では、試験問題が印刷工場から試験会場に輸送するまでGPSで位置と状況を監視し、公安や武装警察が警備する。試験問題の保管室には死角なく監視カメラが設置され、二十四時間体制で当直がつく。さらに夜間の抜き打ち検査、電話による担当者への勤務確認なども行われる。
 ほかにも、試験会場に入る際の顔認証と指紋認証、静脈認証、無線用隠しイヤホン探索機、電波遮断機、無線電波測定車などが配備されたという。全会場でこれらすべてが運用されたとは思えないが、市民に「不正防止にこれほど真剣」との印象を与えることはできただろう。
 不正根絶の決意と実行力は想像を超えている。試験期間中は会場内だけでなく、周辺の電波までも遮断してしまった。試験初日の夕方、私の携帯電話にも「試験期間中は無線電波遮断機が起動しているため、通話やインターネットに支障が見られる。試験終了後は速やかに回復するのでご理解を」とお詫びのショートメッセージが届いた。電話会社にクレームを言う市民がいても、高考対応だと知ると「それなら仕方あるまい」とすぐに納得するはずだ。受験生という“子ども”への理解と期待、その懐の深さが、いかにも中国的だと思う。

98:シェアリング自転車

2017年5月9日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.98

一年前、通勤用に買ったばかりの電動バイクが盗まれた。もう電動バイクは買わないと決めてママチャリを買ったが、今年一月にそれも盗まれた。その後はバスかタクシーを使っていたが、時刻表のないバスは待ち時間の浪費だし、タクシーはお金の浪費が問題だ。 そんな頃、北京で「シェアリング自転車」が普及し始め、私も関心を持った。私が知る限り、北京では過去にも二回、全市規模のレンタル自転車が登場した。だが台数が少なすぎたり、乗りづらそうな安物だったり、ユーザー登録方法も面倒で、案の定どちらも長くは持たなかった。 しかし今回は様子が違う。複数の会社が参集して、色とりどりのシャアリング自転車が街中に出現。シェア拡大の競争激化とともに、北京の街がカラフルに彩られてゆく。

 

私は北京でも最も多くみかける「摩拝単車(モバイク)」という会社を選んだ。オレンジとグレーの車体が特徴だ。 まずはスマートフォンのアプリをダウンロード。  保証金299元(約4800円)を電子マネーで支払い、パスポートと顔写真をアップロードして個人認証の審査を待つ。個人情報を保護していたら、北京で便利な生活はできない。翌日審査が通過してユーザーとなった。 使い始めてその便利さに驚いた。アプリを開くと、地図に現在地と停車中の自転車の位置がが一目瞭然に表示される。 15分先までなら予約もできる。料金は車種によって、30分で0.5元(約8円)と一時間で1元(約16円)の二通りがある。

(ほとんどの車種の)タイヤはパンクしない強化ゴムで、チェーンも外れる心配のない安心構造だ。万が一、車両に不具合があれば、写真を撮影して報告することで「信用ポイント」がつく。 レンタル自転車のように借りた場所へ返しに行く必要がなく、ロックして乗り捨てで良い。機能向上した車種が続々投入されてゆくし、自家用自転車に比べて格段に便利だ。上海や広州など他の都市で使用できるのも有難い。  4月現在、北京市内に投入されたモバイクは30万台。ビジネスとして成り立つのかどうかは疑問の声も多いが、シェアリング自転車の先に見通している事業で利益を上げる見込みがあるのだろう、三億米ドルもの資金を調達している。 ともあれ、消費者としては快適な自転車が便利に使えることに大満足している。(おわり)

97:歓迎!旭川市青少年訪問団

2017年4月11日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.97

三月三十日の正午前、旭川市青少年訪問団(旭川東高、旭川南高、旭藤女子高の生徒十人と引率二人)がハルビンからの国内線で北京空港に到着した。一行はハルビン市で青少年交流事業に参加した後、帰国前の丸二日を北京で過ごしに来てくれた。ハルビンでは視察や観光だけでなく、市政府教育局を表敬訪問したり、現地高校で生徒同士の交流を重ねたほか、ホームステイも体験したとのこと。盛りだくさんの行事にも疲れた様子は微塵もなく、みんな好奇心に満ち溢れていた。

 一行は、北京空港から市内中心部の有名飲茶店で昼食を済ませたあと、北京大使館を訪問。札幌出身のG参事官とK一等書記官から、会議室で在外公館の業務に関する説明を受けた。
 その後、大雪ナナカマドの会(旧北京旭川人会)のリーダーY会長の職場である焼肉店のほか、私の管理するホステルを経由して、天安門からほど近いランドマーク的な巨大総合施設「東方広場」内にある会計事務所、KPMG北京オフィスを訪問。函館出身のAマネージャーから中国のビジネス市場に関する話を聞いた。高校生には難しいかもと心配したが、Aさんはセミナーのプロ、テンポよく話して飽きさせない。みんな真剣に聞いて、あっという間に一時間が過ぎた。
 夕食は、当日都合のついた大雪ナナカマドの会メンバー六人と一緒に四川料理のテーブルを囲んだ。メンバーは高校生との交流を楽しみにしつつも、「若者と会話が成り立つかどうか…」と心配もしていた。最初はお互い緊張していたが、しだいに雰囲気も和らぎ、楽しいひとときとなった。
 彼らが抱いた北京の印象が気になった。日本に住む人からは、偏った先入観を持たれることが多い。「実際はもっと深く多面的なのに」というのが、こちらに住む人間の共通認識だ。将来を担う高校生には、北京の良いところも見てほしいと全員が願っている。
 翌日は終日観光。早朝から前門を散策し、故宮縦断のあとパンダも見た。万里の長城を元気いっぱいに駆け上がり、駆け下りた。最後の夕食は北京ダック。 観光スポット、名物の料理も体験して、とても内容の濃い旅程だったはずだ。
 旭川は、離れれば離れるほどそのすばらしさを実感できるところだ。今回の体験をステップにして、彼らが旭川での生活をさらに充実させ、より高く遠く羽ばたく勇気を持ち続けてほしいと願う。

96:北京で「男山」の宣伝

2017年3月14日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.96
 日中国交正常化四十五周年の今年、北京では歌舞伎公演をはじめ多くの記念事業が開催される。二月二十五日、二十六日の両日には、大型ショッピングモール「U―TOWN」で日本の工芸品、酒、食品を宣伝し、日本の匠の心と高い技術をアピールするイベントが開かれた。
 イベントの情報は、D庁からHY銀行D事務所に出向中のT主査から入った。彼は北京旭川組(現大雪ナナカマドの会)の発足メンバーで、旭川北高の後輩でもある。値段の安い本州の男山が出回っている北京で、本家である旭川の「男山」が造った高品質の日本酒をもっと広めたいと願う仲間だ。
 初企画のイベントで、そのPR効果は未知数だ。しかし、外務省の記念事業なので費用をかけずに展示できるため、試してみる価値はある。男山も出展に賛成し、全面的な支援を快諾してくれた。
 開幕式では野上浩太郎官房副長官、横井裕駐中国大使と並んで、中国でも知名度が高い元サッカー選手の中田英寿氏が鏡開きに加わり、注目を集めていた。イベント中は中央のステージで一時間ごとにプログラムが実施され、日本酒利き酒クイズ、観光地を旅するビデオの放映、熊本県の踊り披露、パックご飯の無料配布などが行われた。
 展示スペースは工芸、日本酒、食品、観光などの分野別に分けられた。九州や東北、北陸に極端に多くのスペースが割かれ、「北海道は知名度も人気もあるから、いいべさ」と言われているように感じた。
 期間中、T主査と私は主催者から男山の展示用に与えられた三十㌢四方のスペースを交代で守り、来場者の視線を追いかけ、質問に答えた。主催者の公式発表によると両日の来場人数は一万五千人、実際には数割引いたくらいだろう。 しかし、初日だけでも足を止めて男山の紹介文を読んだり、パンフレットを手に取る人が百人はいた。展示していた純米大吟醸の瓶を手にとってラベルを確認したり、展示物を撮影するなど時間をかけて見てくれた人も二十人以上いた。なかには、すでに知っている人もいて、「これよ、これ!」と探し物を見つけたような口調で友人に紹介する人や、「どこで買えるのか」「いくらか」と具体的に聞いてくる人もいた。
 北京で男山を多くの人に宣伝でき、さらに「資料館も試飲も無料だから、ぜひ旭川に来て」と観光誘致もできて、とても充実した二日間だった。

95:元宵節に食べるもの

2107年2月14日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.95
 今年の旧暦正月「春節」は一月二十八日だった。それから数えてちょうど十五日目となる二月十一日が「元宵節(げんしょうせつ)」だ。
 一般的には元宵節と呼ぶことが多いが、「春灯節」「小正月」「元夕節」とも呼ばれる。また「上元節」という呼称もあり、旧暦七月十五日の「中元」、旧暦十月十五日の「下元」と合わせて「三元」とも言われる。
 
 元宵節は、二十四節のうち春節(新年)の次に来る最初の節句であるため、とても重要視される。この日は団、円、和、美の願いを込めて「元宵(ユアンシャオ)」を食べて、正月が終わりとなる。
 
 元宵とは、中に餡の入った丸い団子餅のような食べ物で、水を張った鍋で茹でて食べる。北方では元宵を食べ、多彩な食文化を持つ南方では「湯圓」(タンユアン)を食べると言われている。湯圓の方が味も種類も豊富に見えるためか、現在北京のスーパーの冷凍コーナーでは湯圓のほうが種類が多いほどだ。
 
 元宵も湯圓も見た目は同じで、私には食べても区別がつかないが、製造方法や原料、さらに茹で時間や口当たりまで違うそうだ。元宵は直径が二㌢程が主流。湯圓として売られているものは、直径一㌢程度の小さなサイズから三㌢ほどの大きさまであり、餅に色がついたものもある。どちらも餡は小豆、黒ゴマ、ピーナッツ、サンザシ、ミックスナッツ、チョコレートなど、月餅同様にいろいろある。一番好まれているのは黒ゴマのようで、どのメーカーも作っているし、訪問先で出してくれる場合も黒ゴマが多い。
 
 私が管理しているホステルでは、中国の伝統や最近の文化風習を取り入れて、その時期に食べるべき食品をスタッフが準備して宿泊客に配っている。外国人客には中国の節句を体験してほしいし、国内客には時間差はあっても大勢で同じ食べ物を食べることで、一緒に節句を過ごした気分になってほしいからだ。
 
 リンゴや月餅を配る時はただ並べておけばよいし、八宝粥やちまきなどは煮ておけばすぐに提供できて問題ないが、元宵と餃子は事前に作っておくと冷えて固くなるし、最初から茹でると十分ほど掛かり、茹で過ぎると溶けてしまう。お客様の戻る時間を聞いたり予測したりして、いかに効率良くお配りするか、毎年スタッフと一緒に頭をひねっている。(おわり)

優佳良織工芸館 存続の危機

2017年1月22日 北海道新聞 けいざい寒風温風

「有望な観光施設 復活願う」

私の故郷は旭川市である。現在は、中国・北京で宿泊施設とコンサルタント会社を経営しているが、いつも頭の片隅に旭川がある。その旭川の芸術、文化の発祥地である「優佳良織工芸館」と「国際染織美術館」を運営していた北海道伝統美術工芸村(旭川)が昨年12月、破産した。観光名所が存続の危機にひんしている。関係者はきっと心を痛めているに違いない。

優佳良織は1960年代に地元出身の染織工芸作家木内綾さんが考案した。工芸館は80年、優佳良織を所蔵、展示する場として開館し、綾さんの長男和博さんが長く館長を務めてきた。地域に根差し、新たな文化を創造した優佳良織は、数々の賞を受賞し、国内外で高い評価を得てきた。2人は伝統を次世代に継承することに生涯をささげた。いずれも故人となったが、さぞやあの世で無念さをかみしめていることだと思う。

観光、文化の側面からも、施設をなくすようなことがあってはならない。

(中国の個人客増加)

人口減少が進む中、観光業は将来の有望な産業だ。実際、日本の関係者も観光振興には特に力を入れている。中国人などの団体旅行客が高額品を大量に購入する「爆買い」現象は、一服感があるが、個人客は増えている。北京や上海の旅行会社には、日本の自治体関係者が入れ代わり立ち代わり観光PRに訪れている。中国人に馴染みのない地域の関係者は、売り込みなどの面でひと苦労していると聞く。ただ、北海道は中国でも知名度、好感度が抜群で、関係者が観光に力を入れるのは至極当然だ。

他の地域と似たような観光振興では、観光の将来はおぼつかない。北海道の自然や風土、文化を生かした独自の魅力を絶えず新たな観光資源として掘り起こし、発信しなければならない。周辺地域との連携や交通手段の整備など環境整備も大切だ。

中国人旅行客が訪れる道内観光地の中でも、動物の「行動展示」で知られる旭川市旭山動物園は人気が群を抜いて高い。だが最近は、全国各地の動物園が、旭山に見習い、行動展示に力を入れている。来園者の人気が高い「ペンギンの散歩」も旭山動物園の専売特許ではなくなった。

いくら観光振興とはいえ、新たな施設の建設は難しいに違いない。既存の施設を効率良く回れるように工夫をしたり、地域や施設が互いに連携し観光地としての魅力やサービスの質をあげる必要があるだろう。

(市民の熱意に期待)

自由でユニークな旅を期待している中国人旅行客は、物見雄山だけでなく、さらに一歩深い体験を望んでいる。ホテルや施設など現地で気軽に申し込める体験型観光メニューを充実させ、周知することが人気スポットとなる鍵となるはずだ。織物体験ができた工芸館もそうした潜在力がある施設だったと思う。

旭川は、地元が誇る作家三浦綾子さんの文学的な世界を広く紹介しようと、地道な市民運動によって三浦綾子記念文学館を開館させた地である。優佳良織工芸館も市民の支援で守ってゆけるのではないか。

木内さん親子の思いやそれまでの努力を絶やさないため、地元の旭川市の文化芸術という財産を守るためにも、市民有志が連携し、運営会社を再生、復活させることを願ってやまない。旭川市や北海道の支援も期待したいが、それも市民の熱意があってこそだ。施設が再スタートを切り、新たな成功モデルとなれば、北海道の観光振興の面でもきっと役立つと思う。 (おわり)

94:事実上の「終日走行禁止」

2017年1月17日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.94
 昨年十一月、自家用車のバッテリーを交換した。我が家の車は二〇〇一年製の「夏利(中国名:シャアリ)二〇〇〇」。私が知る限り三回目のバッテリー交換だ。
 その数日後、友人からメッセージが届いた。「二〇一七年二月十五日から、排気基準が『国Ⅰ』と『国Ⅱ』の車は、平日及び(大気汚染が)オレンジ、レッド警報の発令日は走行不可に。要注意」。慌てて自車を調べると国Ⅱ基準、制限対象だった。
 つまり、すべての平日午前三時から深夜零時までと、週末でも大気汚染がひどい日は、運転できなくなるというのだ。現在も週のうち平日一日は走行制限されているが、早朝七時から夜八時までなので、時間をずらせば対応できなくもない。しかし、深夜の三時間だけでは、事実上の終日走行禁止だ。走行可能な日が年間三百日から百日程度に圧縮されるのに、税金や保険は一切減額されないというのも納得いかない。
 制限区域である環状五号線内から自宅と職場を移転することは、現実的に不可能。今すぐ新車に買い換えるか、それとも車を手放すか、選択を迫られた気分だ。
 北京では二〇一一年から、大きな社会問題である渋滞緩和のために、マイカーのナンバープレート抽選制度が実施された。これによってナンバーの発行枚数は年間二十四万枚に限定されたが、マイカー取得希望者は増え続けている。つい最近の抽選確率は七百八十三分の一という高倍率だった。北京ナンバーはますます貴重になっているのだ。
 廃車にしてナンバーを返上すると、八千元(約十三万五千円)が支給されるが、北京ナンバーの価値はそんなものではない。闇のマーケットでは年間二万元(約三十三万円)程度でレンタル(名義貸し)されているとも聞く。
 名義人である私が新車に買い替える場合は、抽選なしの既得権で新たなナンバーに変更が可能だ。しかし廃車にすると、ナンバーも廃止され、私の権利も消滅する。将来また自家用車を購入するときは、抽選に当たるのを待たなければならない。
 新車に買い換えるという選択肢は、今の私にはない。権利放棄を覚悟して、車体も古くなり極端に走行が制限された愛車を廃車にするしかないということだ。
 夫が遺してくれた車を手放すのは忍びないが、時代の流れには逆らえない。いつ車を手放すか、あとはそのタイミングだけだ。(おわり)

93:「長期休業」の報に触れて

2016年12月13日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.93

今月二日、札幌の知人から「長期休業入り」の見出しで始まる優佳良織工芸館と国際染織美術館に関する紙面の写真が送られてきた。記事によると優佳良織工芸館の開館は一九八〇年、当時の記憶は曖昧だが、台場の方に凄いものができたと聞いた気がする。浪人時代、友達と工芸館前の斜面の草の上で座っておにぎりを食べたこともあった。 当時はまだ雪の美術館もなく、旭川の街並みが一望できたことや、周囲にたくさんの人が行き来していたこと、草の上でくつろぐ人が他にもいたことを覚えている。工芸館に知人がいた母はプレゼントで頂いた優佳良織の小物をいくつか所有していた。サンゴソウがテーマの赤いマフラーを見せられたとき、これが旭川で作れるのかと驚いた記憶もある。 二〇〇九年に夫からホステル経営を相続した私は、二〇一一年に故郷との関わりを求めてフロント横の客室を事務所として登記し、北海道とりわけ旭川の紹介を始めた。 こちらでも旭山が有名になると「旭川は動物園の他に何がある?」と聞かれることが多くなり、まずは「雪の美術館を見て」と返答した。 そうして雪の美術館を訪れた人は(除雪を知らない人たちに共通する)幻想的で神秘的な冬のイメージを体感できたことを喜び「内部がこれほど大きいとは思わなかった」と驚いていた。しかし優佳良織や染織美術については、その分野に詳しい人や、旭川の文化の歴史を知りたい人でなければ、興味を持ちにくかったのかもしれない。美しい風景や良質な伏流水といった自然環境だけでなく、世界一流の木工技術や、市民生活に溶け込む音楽や文学を支え受け継ぐ旭川の人々のこと、そして「北海道伝統美術工芸村」のことをもっともっと広めたかったが、私はあまりに微力だった。紙面には「長期休業」とあったが、このままで良いのか。  事情はどうあれ、外部からすると、旭川市民が誇れる文化であり、旭川市の重要な観光資源のひとつ、ひいては市民の財産に他ならない。地元の有力者や市民のリーダーの誰かが、立ち上がり声を上げることを願わずにはいられない。保全や保護を求める「市民運動」が起きたときはその活動に参加したいと強く願う。私一人は微力でも、市民の願いが集結すれば大きな力になるはずだ。「民間だから」と誰も何もしない場合、自然を搾取することが目的のブローカーや、最初から転売が目的の投資家、悪意の第三者の手に落ちる可能性とその結末が心配でならない。(おわり)

92:祝・日ハム日本一 北京でスタンプラリー企画

2016年11月8日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.92
 ファイターズが日本一になった。実はリーグ優勝をした頃に、北京市内の焼肉店「松岡」のY支配人から「北海道はリーグ優勝セールで盛り上がるだろう。北京でも何かしたいね」と言われていた。
 私は稲葉篤紀元選手の校友であり大ファンなので、テレビ中継を見ては家で一人稲葉ジャンプもしたし、二〇〇八年の北京オリンピックには、大学校友会の大きな旗を持って校友と球場に応援に行った。しかし、私の中の日ハムは、稲葉、新庄、ヒチョリ、そしてダルビッシュで止まっていた。
 私たちにとって最近の北海道の話題といえば、台風の被害や西武の閉店など暗い話が多かった。そんななかで、地元球団のリーグ優勝という嬉しいニュースが伝わってきて、「北京でも何かしたいね」という言葉に心が揺れた。
 北京の小樽商大OBにファイターズの大ファンがいたことを思い出し、早速連絡を取った。身近な日ハムファンを掘り起こし、日本一に向けて皆で一緒に応援することにした。その名も「うちらなまらファイターズ」。「神様仏様大谷様」と文字を入れたお揃いのTシャツを作ったり、ロゴをデザインしてシールを作った。
 最近は、北京でも専用の機器を設置すれば日本のテレビ番組が視聴・録画出来る。CS、そして日本シリーズは、お揃いのTシャツやユニフォームを着て集まったり、集まれない人はグループチャットで会話しながら一緒に応援した。途中ヒヤヒヤする場面もあったが、結局日本一となってくれて、大いに盛り上がることが出来た。
 当初はリーグ優勝記念イベントとして、スタンプラリーを七日から二十六日まで、北京市内の北海道レストラン四店舗で計画していたが、「日本一記念」に改めた。  スポンサー不在のため、経費のカンパや景品の協賛を募ったところ、北京だけでなく札幌や上海、大連の北海道関係者からカンパ、ファイターズグッズ、北海道商品の協賛品が続々届いた。
 二十七日には公開抽選会をスタンプラリー参加店の「ラーメン居酒屋北の麺」で行う予定だ。  まずはスタンプラリーで話題をつくり、北京のファイターズファンを拡大してゆく。将来的にはファイターズの関係者に北京へ来ていただけることを願っている。(おわり)

91:中国人の旅行動向

2016年10月10日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.91
 国慶節休暇(十月一日から七日までの七連休)の旅行動向が発表された。今年はのべ六億人、つまり中国人の二人に一人が国内外の旅行に行くという史上最大の規模だそうだ。
 近年は旅行プランのオーダーメイド、また個人で現地を訪ねてイベントに参加するなど新たな形態が人気を集めていて、昨年に比べて三~四倍と目覚ましい伸びを見せている。
 もっとも旅行熱の高い都市は上海で、次が北京、以下成都、広州、深センと続く。上海と北京は旅行をする人が飛び抜けて多かった。確かにこの数日間、北京の街中は車も人影も少なかった。
 上海人、北京人が国内旅行に掛ける平均額は五千元(約八万円)。ちなみにJTBよると、今年のGWの日本国内平均額は三万五千円だ。
 一方、国外旅行の平均費用は八千元(約十二万円)で、買物中心から体験型に変化しつつある。具体的には、ホテルのランクを上げたり、高級料理や現地の特産を味わうなどだ。かつては安いパッケージ旅行で爆買いするツアーが主流だったが、今では八割が買物設定なしのツアーを選ぶようになった。またホテルは四つ星、五つ星の予約が全体の四五%を占め、古城に泊まるのも人気だった。
 国外には六百万人が出掛け、やはり史上最多となった。各国が中国人旅行客を招き入れようとビザ政策を緩和したため、五十七の国家と地区でノービザ等の待遇となったことも追い風になった。人気の国は韓国、タイ、日本の順だった。
 発表から読み取れるのは、日本のメディアが言うほど中国経済が失速し、破綻に向かっているわけではなく、お金の使い方が変わってきたということだ。政府高官が公金を湯水のごとく使える時代は終わり、接待も減ったのは事実で、その影響は確かに出ている。しかし、それは一部の特権階級の話だ。日本でバブルが崩壊したあとのように、全国民が夢から覚めたような状態には至っていない。国民の生活水準が向上し続け、給与所得も物価も上昇している現状は、熱狂的加速から緩やかな安定成長に入ったと認識するのが妥当だ。
 爆買いが減った一番の原因は、中国人旅行客が冷静になったからだろう。旅行中に大量の荷物を持ち歩く不便さにうんざりし、貴重な旅行時間を有効に使い始めたのだ。アマゾンや楽天など合法的な個人輸入が浸透しつつあることも背景にある。
 でも本当に欲しいものは、探すのに時間もかけるし、金に糸目をつけずに買う。中国経済も中国人も、日本の物差しでは計り切れないスケールと奥深さを持っている。(おわり)

90:「京城第一の滝」でジンギスカン

2016年9月13日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.90
 北京在住の旭川人が中心メンバーの「大雪ナナカマドの会」で三日、野外ジンギスカン・パーティーをした。政府が大気汚染対策に躍起になっている昨今、市内中心部の空き地で煙を出すと処罰される恐れがあるので、遠くまで行くことにした。
 行き先は、日本語で言うと「京城第一の滝」(中国語では「京都第一瀑」)という郊外の村で、北京から日帰りでも行ける観光地だ。文字通り滝が名物で、北京市密雲区のほぼ中央に位置する。区内には風化した長城の一部も残るが、最も有名なのは北京最大で唯一の密雲ダム(貯水量約四十億立方㍍、日本最大級の徳山ダムの約六倍)である。
 当日は朝八時に会の代表者が支配人を務める「焼肉松岡」に集合。五台の車に食材と道具を分けて積み込み、参加者十五人も分乗した。松岡から目的地まで北東に約百キロ、途中で高速(制限速度は時速百二十キロ)を利用して一時間半の予定だったが、当日は朝から晴天だったこともあり、郊外に出かける車が予想以上に多く、実際には出発してから二時間半もかかってしまった。
 村の施設に到着後、休む間もなくすぐに準備に取り掛かった。持ち込んだ備長炭が赤くなったところで、ジンギスカン鍋に肉や野菜を乗せ、鍋の周りの網の上にはホタテやトウキビを置いた。ホタテはジャスコが「北海道フェア」を開いたときに購入した道産の殻付きのもので、バーベキューには最適。下茹でしたトウキビも焦げ目に醤油を垂らすと香ばしく、「大通公園のトウキビワゴンに負けないね」の声に一同うなづいた。食材は味も量も申し分なく、楽しくおしゃべりしながら満腹感を共有した。
 食後は滝付近の山登りだ。早めの帰宅組七人が二台の車で先に帰路につき、残った八人は急な岩道を登った。途中で私を含め二人が力尽き、滝壺で冷やしたスイカをかじりながら休憩小屋で一時間ほど待った。六人は一番奥まで到達し、湧き水を飲んだり、足湯ならぬ足滝を堪能したそうだ。
 この日は終日快晴で空気も澄んでいて、運動したという達成感と仲間たちとの楽しい食事で、充実した一日になった。(おわり)

89:ショック! 旭川―北京便が運行中止に

2016年8月8日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.89
 一日、中国東方航空から携帯電話にメッセージが届いた。そこには、私が購入した十月中旬の北京―旭川の直行便がキャンセルになったと書かれていた。
 七月中旬、私は北京のとある旅行会社を訪れた。この旅行社は今年、団体ツアーのため、北京発旭川直行便のほぼ半分の座席を購入している。同社の担当者から「直行便は八月末で終了するらしい」と聞かされ、そうならないことを願いながら往復チケットを購入したのだったが、駄目だった。
 遡ること五年前、北京の旭川関係者が集まる拠点「焼肉松岡」に、旭川で生まれ育った三人が集まっていた。その日の話題が、北京―旭川の直行便だったことを覚えている。「どれほど便利になるか」「旭川への経済効果も期待できる」「エアドゥの最初の国際線は北京―旭川にすべきだ」などと、熱く語り合った。その時はまさに夢を語るような感じで、さほど現実感はなかった。
 しかし翌二〇一二年、北京の旅行会社が夏休みから国慶節(十月一日~)までの期間限定ながら、北京―旭川、北京―帯広のチャーター便を週に三本就航させ、北海道旅行ブームに火をつけた。チャーター便なので座席のすべてが旅行会社に買い占められ、個人旅行客や私たち中国在住者が帰省用に購入するのは難しかったが、直行便という夢が現実となった。旭川空港に降りて登別の温泉旅館に直行するツアーの日程表を見たときは、複雑な心境だったけれど…。
 そうして二〇一四年夏、中国東方航空の旭川直行便が北京から週五便、上海から週三便、就航した。定期便なので個人旅行客もチケットが購入できるようになり、数年前までは夢だった北京―旭川の直行便にとうとう乗ることができるようになったのだ。わざわざ新千歳を経由せずに、時間も体力も大幅に節約できる。
 定期便といっても年間通して就航していたわけではなかったので、これまで私が利用できたのは五往復。いずれの便も日本人は私たちだけだった。
 北京からの観光客だけに頼っているのではなく、旭川からの搭乗も増えなくてはまずいと、うすうす感じてはいた。しかし国慶節の長期休暇がある十月を待たずに運行停止になるとは、予想しなかった。
 北京―旭川の直行便は今年、大幅な赤字を抱えたそうだ。旭川発着便が安く購入できることを能天気に喜んでいた自分を後悔しても、もう手遅れだ。(おわり)

88:夏休みシーズン開幕

2016年7月12日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.88
 中国は夏休みシーズンに入った。大学は六月末、小中高校も七月上旬には試験が終わり、九月の新学期までの夏休みが始まる。海外旅行がブームから習慣として定着しつつある中国全土から、今年も多くの観光客が日本を目指す。
 中国人観光客のメインは団体旅行だ。中国では訪日団体旅行のビザが解禁された数年後に個人旅行のビザが解禁された経緯から、今でも団体が半数以上を占めている。ただ、個人旅行へシフトする勢いが止まらないので、近い将来数値は逆転するだろう。
 私のところにも、団体ではなく家族やグループで北海道を回りたいという相談が多く寄せられる。しかし個人旅行となると、飛行機もホテルも通常の価格になるし、専用車のチャーター費用もかさみ、団体と同じルートを回ったとしても倍額以上になってしまう。
 一昨年の冬、札幌発北京行きの飛行機の中で聞いた、後部座席の個人旅行客の会話を思い出す。「北海道って、たいしたことなかったね」。何が不満だったのか聞き耳を立てて分かったのは、友人と二人でガイド付きの車をチャーターした初めての北海道旅行だったが、ホテルでも観光スポットでも、中国人団体ツアーと鉢合わせの連続で、周囲は中国語だらけ、高い料金を払ったのに結局違ったのは車の大きさだけだった。
 皆と一緒だとなぜか安心する日本人とは違い、とにかく差別化と個性を求める中国人が個人旅行をするというのは、北海道の風景や食材、施設のサービスだけではなく、団体旅行では体験できない何かを求めているのだ。
 その最たるものが、現地住民との偶然の出会いと交流だ。六月末、北京から知人の女性とその小学生の子ども(実際には、息子が北京で昨年まで通っていた小学校の同級生とその母親)が旭川に来て一週間滞在した。聞くと、平日はJRで美瑛に行って自転車に乗ったり、常磐公園や嵐山を散策。バスの「いで湯号」で旭岳まで日帰り温泉に行き、帰りはなんとヒッチハイクをしたという。帰途の忠別ダムで記念撮影もして無事に旭川に戻り、とても満足していた。週末には私の息子(現在は旭川で小学生活を満喫中)も遊びに連れて行ってくれた。
 もしあなたが街中で中国人とすれ違ったら、ぜひ「ニーハオ」と微笑んでほしい。免税店や量販店だけでなく、地元の人たちの一言が旭川を一瞬にして親しい街に変える。その偶然が続くと、きっと忘れられない夏休みとなるはずだ。(おわり)

24:大使着任レセプション

2013年5月6日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.24

昨年のクリスマスに北京に着任した木寺昌人・在中国日本国特命全権大使の着任レセプションが4月24日、北京の大使館で開催された。

任命された経緯やその前後の日中関係については周知の通りだ。ただでさえ困難な状態であるのに、さらに間の悪いことにまたもや靖国参拝だ。海外では「国のために尊い命を落とした英霊」だけではなく「侵略戦争の指導者」への参拝と見られてしまう。

さて、その着任レセプションだが、日系メディアの報道によると、おそらくこれまでと今回の事情により、期待されていた中国政府高官の出席はなかったようだ。

この件については、残念ながら私には何の権限もない。今の私にできること、それは北海道関連のブースを、関係者の皆さんと一緒に全力で盛り上げることだ。来賓の方々を楽しませ、北海道ファンを増やす、その共通の目的達成のため、お手伝いをさせていただいた。

昨年末、在外公館恒例の天皇誕生日レセプションの北海道札幌ブースでは、焼肉松岡(ソラチの現地法人)の協賛で、「北海道豚丼」を提供した。通常こうした(自治体の)ブースでは、記念品の展示やパンフレットの配布がメインだが、大使館イベントの来賓で、机上に並んだパンフレットを手に取る方は少ない。しかし豚丼は大人気で、行列ができて話題になった。それがきっかけで、N航空北京発のビジネスクラスの機内食に採用された経緯があると聞いた。

今回はN航空のブースではソラチのたれを使った豚丼を提供し、その隣の北海道札幌ブースでスープカレーを提供した。昨年北京に回転した北海道料理店「旬鮮本舗」の協賛だ。いずれも特注の北海道マーク入りの容器を使って北海道連合のパワーをさりげなくアピール、さらに北海道通信特機(旭川市)の上海現地法人からも黒松内の水「水彩の森」を協賛していただき、北海道のスープカレー、北海道の豚丼、北海道のミネラルウォーターの三品が揃った。

豚丼もスープカレーも用意した三百食はすべてなくなった。スープカレーを知らない中国の来賓は、最初こそ食べ方に戸惑っていたが、一口食べると驚いた顔で「美味しい!」と頷く方が多かった。

主役の木寺大使は、開場前に各ブースを挨拶に回られたが、途中で「美味しいスープカレーを食べにきましたよ!」とおっしゃりながら、周囲のブースを素通りしてお越しになり、私たちのブースの前で、ゆっくりと三品すべてを口にされた。北海道に対する格別とも思える配慮に、その場にいた中国の来賓から「大使は北海道出身なの?」と聞かれたほどだ(実際は東京都のご出身)。

来賓の皆さんはもちろん、大使もご満足のようで、道産子のひとりとして素直に嬉しかった。(おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

23:鳥インフルエンザ

2013年4月23日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.23

 

先日、訪中旅行を扱う旅行関係者の懇親会に出席した。  日本を代表する大手旅行会社の代表者らが口を揃えて「シマ問題、後を追うような大気汚染、青空が戻った途端にこの鳥インフル、もうどうしたらいいのだ!」と嘆いていた。経費削減は既に限界、人員削減にも着手しなければならない状態になっているそうだ。まあ、今の時期に中国へ旅行する理由がなければ、敢えて来る必要もないのだが、日本の皆さんの脳裏に「中国は危険だ」とくっきり刻み込まれてしまったように思えることが残念でならない。 ここ数日は毎日のように鳥インフル関係の話題も報道されているが、無数に報道されるニュースのうちのひとつでしかない。日本のテレビでは何か話題があると(他に報道すべきニュースは無いのか?と突っ込みたくなるほどに)掘り下げたセンセーショナルな報道をしがちだと思う。 中国のニュースは政府の「国家を混乱させない」という意図が見え隠れするくらいで、普段から(愛国に関する内容以外は)割と淡々と報道しているように見える。もちろん、例外もあるが。 鳥インフル関連の報道を見て思うのは、2002年のSARSのときのような緊張感は見られないということだ。 もし本当に政府が報道規制をしていて偽の安全情報を流していたとしても、ツイッターや微博、口コミなどで隠し通すのは至難の技だ。そちら側で”盛り上がっていない”ことは、報道が概ね現実から乖離していないことの証明とも思える。 逆に日本大使館からのメールマガジンが、「鳥インフルエンザ関連速報」として毎日のように届き、中国国内での感染状況を懇切丁寧に教えてくれている。  17日現在、全国での死亡は17名で、ヒトからヒトへの感染は発見されていないそうだ。 北京のレストランでは鶏肉を避ける客も出ているそうだ。  敢えてリスクに挑戦する必要もないが、気にしすぎると何もできなくなってしまうのも現実だ。先日あった大気汚染関連のセミナーで「肺に良くないので、転職してでも今すぐ中国から離れたほうがいい」と言う医者がいたと聞いて、思わず苦笑してしまった。 大気汚染と鳥インフルで、日本の知人からいただいたお見舞いのメールには、「大気汚染で肺がやられて死ぬ前に、鳥インフルにかかって死ぬ前に、通勤で電動自転車を運転中に交通事故で死ぬ確率のほうが百倍高いです」と返答している。これが現実だからだ。  (おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

22:清明節の「焼紙」

2013年4月9日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.22

今年の清明節(旧暦2月14日)は、4月4日だった。清明節は中国の伝統的な祭日で、元宵(上元)、清明、立夏、端午、中元、中秋、夏至、除夕の八大祭日の一つだ。2008年に法定休日となり、2009年からは土日の振替制度を使った三連休となった。高速道路も三日間、通行無料となる。 清明節は日本のお盆に相当する意味合いが強い。数年前の清明節に義父母の生まれた寒村に行ったとき、土葬で盛り土された墓の前で、紙を燃やしているのを見た。これを「焼紙(銭)」と言うそうだ。紙を焼いて煙にし、添え物をあの世の親族へ届けるための儀式だ。 都市郊外にある霊園には、広い敷地の中に専用の焼却炉がある。炉にはいくつもの窓口があり、その上に写真を掲げ、その中に添え物を入れて煙にする。実際に果物を焼く場合もあるし、管もをから家電から動産不動産まで印刷された専用の紙を使うこともある。焼き終わったら、写真を外す。 昨年、焼紙にiPhoneが描かれていたものがあったとラジオで聞いた。この焼紙を買いに来た人が、「うちの先祖はiPhoneを使えるだろうか」と聞くと、店員は「スティーブン・ジョブスもあの世にいるから大丈夫。 ただし、ご先祖に面倒をかけないよう、充電器も忘れずに」と答えたとか。 今年の清明節、私は北京を離れることが出来ず、子どもたちと一緒に自宅で(夫の遺影の前に大皿を置いて)焼紙をした。北京の路上でも、夜になると帰省出来ない人たちがこっそり(注:火災防止で公共の場所で自由に火を扱うのはNGのため)焼紙をする光景を見ることがある。 焼紙には紙幣を模した「冥銭」も使うがこれがまた凄い。現在流通している人民元は最高額面が百元だが、冥銭には一億元や一兆元がある。  発行元もユニークだ。表面には「天地銀行」「天堂銀行」などとあるが、裏面には「BANK OF HELL(地獄銀行)」とか「 HELL BANK NOTE(地獄銀行券)」などと印刷されている。これはどういう意図だろう。 もしかして、「地獄の沙汰も金次第」?地獄でこそ金銭が必要だという深い思慮によるものなのか?そもそも、(この冥銭を送られる人は、天国?地獄?)どっちにいるのだろう?知りたいような、知りたくないような…。(おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

21:北京で献血

2013年3月26日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.21

3月18日、友人と献血に行ってきた。中国で献血するのは7回目だ。最初は2005年だった。その前に永久居留証の申請に関する法律が公布されていて、私は申請条件をとっくに満たしていたが、必要書類が多く、一年半かかってやっと提出した頃だった。しかし書類が受理されても、政府にツテもないので、公安部からの許可が下りる自信はなかった。

そんな時に、噂で「献血手帳(献血の記録が3回まで可能な手帳)を何枚も提出し、自分は中国にこれだけ貢献したとアピールした外国人が、すんなりと永久居留証をもらったらしい」と聞いたのが最初の献血のきっかけだった。中国での献血には少し不安もあったが、日本での献血に慣れていた私のほうが周囲にいた献血初体験の人々より落ち着いていたように思う。その後、妊娠、出産、授乳で献血から遠のいたが、申請から一年以上経っても音沙汰がなく、諦めた頃に永久居留証が交付されて歓喜した。

次に献血をしたのは2007年の秋。買物に出掛けた市場で献血車を見かけた。そこに書かれていた不足中の血液に私と同じ血液型があったため、迷わず車に乗った。

その四カ月後、夫が手術をした。中国の無償献血制度は、自分に血液が必要になった場合には、献血してから10年までは献血した分の5倍まで、10年後は2倍までを無償で使うことが出来る。また父母や配偶者、子どもには献血量の同量を“回して使う”ことが出来る。一回の採血は200または400mlで、献血後6カ月間は献血できない(成分献血であっても)というルールもある。そういうわけで、夫が必要になるかもしれないと思い、闘病中は可能な限り献血に行った。

2010年の秋、5回目の献血をした。ここまでは個人的な打算や偶発的なきっかけだったため、他人に呼び掛けるつもりもなかったし、献血に特別な思いがあったわけでもない。

昨年は、日中国交正常化四十周年の記念すべき年であったのに、各地で反日デモが発生した。政治力も財力も人脈も持たない私は、とてつもない無力感を感じていた。日本軍の残虐写真がテレビやネットで出回る中、ただ息を潜めるだけでなく、何かをしなくてはならないと考えた。

そして、せめて献血をすることにした。友人らにも呼び掛けた。昨年9月17日、デモで道路が封鎖されていた広州から北京に戻り、翌18日には賛同してくれた友人と待ち合わせて献血車に乗った。9月18日は満州事変勃発の日「九一八」であり、中国では祖国が辱められた日として特に反日意識が高まる。

あれからちょうど半年が経った。無償献血と言っても記念品があり、固辞しても結局持たされる。今回は三十元分の携帯電話チャージカードとバッジだった。Tシャツやキーホルダーを貰ったこともある。次回は半年後、やはり9月18日が目標だ。

自虐だ偽善だという見方もあるだろうし、献血がベストだとも思っていない。ただ、何かをせずにはいられないのと、他に出来ることもないだけだ。ベターなアイデアが浮かばないうちは続けようと思っている。(おわり)

(補足)2017年からは献血手帳に変わり、献血カードが導入されている。

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

20:北京に戻って

2013年3月12日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.20

2週間の北海道横断を終えた。今回のメインは流氷体験だった。生まれて初めて砕氷船に乗り、動く流氷を見た。ヘリコプターに乗って空からも流氷を見たし、ウトロでは流氷ウオーキング(流氷の上を歩き、時々海に落ちては這い上がる)という体験もしてきた。

自ら体験したリアルな情報を、中国に戻ってから発信するためだ。 かつての私にとって北海道の冬といえば、苦手なスキーと除雪、アイスバーンと寒さというネガティブなイメージだった。まして流氷なんて、わざわざ見にゆくものではなく、流氷に持って沖に流される人たちを世間知らずだと思っていた。 だが、日常の面倒な除雪作業などに関係ない観光客にとって、雪も流氷も、非日常を体験できる夢の世界なのだ。

他の地域からみると、北海道は羨ましいほど季節感に富む自然の宝庫だ。 流氷を見たり雪に触る外国人観光客の顔は、驚きと喜びに満ちていた。私も観光客の立場で冬の北海道を体験し、十分な手応えと満足感を持って北京に戻った。

知り合いの日本通弁護士は、昨年初めて北海道の冬を体験して、一面の銀世界に魅入られたそうだ。先日挨拶に行くと、退職したら北海道に住むのが夢だとおっしゃった。「また行きたい」ではなく「住みたい」という言葉に、私のほうが驚いた。

北京に戻った翌日は、隔月で開催している北海道人会に参加した。毎回三十人以上が集まる。 北京の道人会では、参加条件を道産子、道内の留学生、道内居住者などに限っている。 今回の会場は北見本社の「オホーツクビール」。北京で本場北海道のお食事処といったら、焼肉の松岡、スープカレーの旬鮮本舗、そしてこのオホーツクビールの三箇所だ。 先日、ソラチのタレを使った「北海道豚丼」が北京発のN社ビジネスクラスの機内食に決まったとニュースで報じられた。その記念にと、(北海道人会事務局へ)ソラチの現地法人である焼肉松岡から豚丼ペア券をたくさん頂いた。N社からもグッズをいただいた他、スープカレーペア券や北海道関連グッズなど多くの方に協賛品をいただき、ひときわ賑わった。 そんなこんなで、北京に戻ってからも北海道の余韻に浸っている。道産品をお土産として配りながら「北海道出身です」と自慢できることをしみじみ幸運に思う。(おわり)

PS:2014年に北海道人会の幹事を引退した 2016年からは旭川を中心としたより深く濃い活動をするために「大雪ナナカマドの会」を運営している。

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。 現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

19:塞翁が馬

2013年2月26日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.19

2月13日から北海道に帰省している。でも実家の旭川でゴロゴロしている時間はない。帰国の翌日、すぐに札幌に向かった。今回も出来る限り多くの関係者に会ってネットワークを広げること、また冬の北海道観光の醍醐味を可能な限り自分で見て体験しながら発信することが目的だ。

2週間の帰省中、4日間は中国のプロカメラマンに同行し、札幌から旭川、網走と観光視察する計画だった。18日の夕方、札幌から旭川に入った。カメラマンは旭川駅の木壁にたくさんの名前が彫られていることに驚いた。私はこの名前プロジェクトのことを説明しながら駅を出た。

夕食は駅から近いラーメン店「山頭火」だ。旭川に来てもらったらラーメン、これは私の鉄則だ。注文を終えたところで、名前プロジェクトの正しい情報を伝えようと思いiPadを取り出そうと鞄を開けた。そこで気づいた。さっき降りた列車にiPadを忘れてきたことを。

今回の帰省直前に購入したばかりのiPadには、今後のスケジュールがぎっしり記録されている。iPhoneは画面が小さすぎるので、その利便性を満喫し始めたばかりだった。

私はカメラマンに事情を説明しながらうろたえた。手元のiPhoneは中国携帯で日本では受信専用にしか使えなていなかったため、お店の方に最寄りの公衆電話の場所を尋ねた。すると「公衆電話は近くにはないから」とお店の電話を使うように勧めてくれたうえ、JRの忘れ物係につないでから受話器を渡してくれた。焦りながらJRの担当者に事情を話したところ、特徴などを確認され、それが届いていると告げられた。小躍りしそうなくらいに嬉しかった。ほっとしてラーメンをしっかり味わうことができた。

ラーメンを食べ終えると駅に向かった。私が忘れ物窓口で受け取る様子、受取表に署名する様子などをカメラマンに撮影してもらい、すぐに中国版ツイッター「微博(weibo)」で発信してもらった。言葉の違う外国人が旅行中に忘れ物をしたら大変ですよ、そんなメッセージのつもりだった。

すると予想以上に転送やコメントが続々と寄せられた。1日経ったところで、転送が百件、コメントは22件になった。その多くが、日本の安全性や道徳観を讃えるもので、日本旅行中に携帯電話や財布など貴重品を紛失したが、手元に戻ってきて感動した体験を書き込む人が続いた。

地元に戻って油断してしまったことを、ラーメンをすすりながら反省していたが、この”事件”が日本の治安の良さやモラルの高さを宣伝する思わぬ機会になった。人間万事塞翁が馬だ。(おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。