89:ショック! 旭川―北京便が運行中止に

2016年8月8日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.89
 一日、中国東方航空から携帯電話にメッセージが届いた。そこには、私が購入した十月中旬の北京―旭川の直行便がキャンセルになったと書かれていた。
 七月中旬、私は北京のとある旅行会社を訪れた。この旅行社は今年、団体ツアーのため、北京発旭川直行便のほぼ半分の座席を購入している。同社の担当者から「直行便は八月末で終了するらしい」と聞かされ、そうならないことを願いながら往復チケットを購入したのだったが、駄目だった。
 遡ること五年前、北京の旭川関係者が集まる拠点「焼肉松岡」に、旭川で生まれ育った三人が集まっていた。その日の話題が、北京―旭川の直行便だったことを覚えている。「どれほど便利になるか」「旭川への経済効果も期待できる」「エアドゥの最初の国際線は北京―旭川にすべきだ」などと、熱く語り合った。その時はまさに夢を語るような感じで、さほど現実感はなかった。
 しかし翌二〇一二年、北京の旅行会社が夏休みから国慶節(十月一日~)までの期間限定ながら、北京―旭川、北京―帯広のチャーター便を週に三本就航させ、北海道旅行ブームに火をつけた。チャーター便なので座席のすべてが旅行会社に買い占められ、個人旅行客や私たち中国在住者が帰省用に購入するのは難しかったが、直行便という夢が現実となった。旭川空港に降りて登別の温泉旅館に直行するツアーの日程表を見たときは、複雑な心境だったけれど…。
 そうして二〇一四年夏、中国東方航空の旭川直行便が北京から週五便、上海から週三便、就航した。定期便なので個人旅行客もチケットが購入できるようになり、数年前までは夢だった北京―旭川の直行便にとうとう乗ることができるようになったのだ。わざわざ新千歳を経由せずに、時間も体力も大幅に節約できる。
 定期便といっても年間通して就航していたわけではなかったので、これまで私が利用できたのは五往復。いずれの便も日本人は私たちだけだった。
 北京からの観光客だけに頼っているのではなく、旭川からの搭乗も増えなくてはまずいと、うすうす感じてはいた。しかし国慶節の長期休暇がある十月を待たずに運行停止になるとは、予想しなかった。
 北京―旭川の直行便は今年、大幅な赤字を抱えたそうだ。旭川発着便が安く購入できることを能天気に喜んでいた自分を後悔しても、もう手遅れだ。(おわり)

88:夏休みシーズン開幕

2016年7月12日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.88
 中国は夏休みシーズンに入った。大学は六月末、小中高校も七月上旬には試験が終わり、九月の新学期までの夏休みが始まる。海外旅行がブームから習慣として定着しつつある中国全土から、今年も多くの観光客が日本を目指す。
 中国人観光客のメインは団体旅行だ。中国では訪日団体旅行のビザが解禁された数年後に個人旅行のビザが解禁された経緯から、今でも団体が半数以上を占めている。ただ、個人旅行へシフトする勢いが止まらないので、近い将来数値は逆転するだろう。
 私のところにも、団体ではなく家族やグループで北海道を回りたいという相談が多く寄せられる。しかし個人旅行となると、飛行機もホテルも通常の価格になるし、専用車のチャーター費用もかさみ、団体と同じルートを回ったとしても倍額以上になってしまう。
 一昨年の冬、札幌発北京行きの飛行機の中で聞いた、後部座席の個人旅行客の会話を思い出す。「北海道って、たいしたことなかったね」。何が不満だったのか聞き耳を立てて分かったのは、友人と二人でガイド付きの車をチャーターした初めての北海道旅行だったが、ホテルでも観光スポットでも、中国人団体ツアーと鉢合わせの連続で、周囲は中国語だらけ、高い料金を払ったのに結局違ったのは車の大きさだけだった。
 皆と一緒だとなぜか安心する日本人とは違い、とにかく差別化と個性を求める中国人が個人旅行をするというのは、北海道の風景や食材、施設のサービスだけではなく、団体旅行では体験できない何かを求めているのだ。
 その最たるものが、現地住民との偶然の出会いと交流だ。六月末、北京から知人の女性とその小学生の子ども(実際には、息子が北京で昨年まで通っていた小学校の同級生とその母親)が旭川に来て一週間滞在した。聞くと、平日はJRで美瑛に行って自転車に乗ったり、常磐公園や嵐山を散策。バスの「いで湯号」で旭岳まで日帰り温泉に行き、帰りはなんとヒッチハイクをしたという。帰途の忠別ダムで記念撮影もして無事に旭川に戻り、とても満足していた。週末には私の息子(現在は旭川で小学生活を満喫中)も遊びに連れて行ってくれた。
 もしあなたが街中で中国人とすれ違ったら、ぜひ「ニーハオ」と微笑んでほしい。免税店や量販店だけでなく、地元の人たちの一言が旭川を一瞬にして親しい街に変える。その偶然が続くと、きっと忘れられない夏休みとなるはずだ。(おわり)

24:大使着任レセプション

2013年5月6日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.24

昨年のクリスマスに北京に着任した木寺昌人・在中国日本国特命全権大使の着任レセプションが4月24日、北京の大使館で開催された。

任命された経緯やその前後の日中関係については周知の通りだ。ただでさえ困難な状態であるのに、さらに間の悪いことにまたもや靖国参拝だ。海外では「国のために尊い命を落とした英霊」だけではなく「侵略戦争の指導者」への参拝と見られてしまう。

さて、その着任レセプションだが、日系メディアの報道によると、おそらくこれまでと今回の事情により、期待されていた中国政府高官の出席はなかったようだ。

この件については、残念ながら私には何の権限もない。今の私にできること、それは北海道関連のブースを、関係者の皆さんと一緒に全力で盛り上げることだ。来賓の方々を楽しませ、北海道ファンを増やす、その共通の目的達成のため、お手伝いをさせていただいた。

昨年末、在外公館恒例の天皇誕生日レセプションの北海道札幌ブースでは、焼肉松岡(ソラチの現地法人)の協賛で、「北海道豚丼」を提供した。通常こうした(自治体の)ブースでは、記念品の展示やパンフレットの配布がメインだが、大使館イベントの来賓で、机上に並んだパンフレットを手に取る方は少ない。しかし豚丼は大人気で、行列ができて話題になった。それがきっかけで、N航空北京発のビジネスクラスの機内食に採用された経緯があると聞いた。

今回はN航空のブースではソラチのたれを使った豚丼を提供し、その隣の北海道札幌ブースでスープカレーを提供した。昨年北京に回転した北海道料理店「旬鮮本舗」の協賛だ。いずれも特注の北海道マーク入りの容器を使って北海道連合のパワーをさりげなくアピール、さらに北海道通信特機(旭川市)の上海現地法人からも黒松内の水「水彩の森」を協賛していただき、北海道のスープカレー、北海道の豚丼、北海道のミネラルウォーターの三品が揃った。

豚丼もスープカレーも用意した三百食はすべてなくなった。スープカレーを知らない中国の来賓は、最初こそ食べ方に戸惑っていたが、一口食べると驚いた顔で「美味しい!」と頷く方が多かった。

主役の木寺大使は、開場前に各ブースを挨拶に回られたが、途中で「美味しいスープカレーを食べにきましたよ!」とおっしゃりながら、周囲のブースを素通りしてお越しになり、私たちのブースの前で、ゆっくりと三品すべてを口にされた。北海道に対する格別とも思える配慮に、その場にいた中国の来賓から「大使は北海道出身なの?」と聞かれたほどだ(実際は東京都のご出身)。

来賓の皆さんはもちろん、大使もご満足のようで、道産子のひとりとして素直に嬉しかった。(おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

23:鳥インフルエンザ

2013年4月23日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.23

 

先日、訪中旅行を扱う旅行関係者の懇親会に出席した。  日本を代表する大手旅行会社の代表者らが口を揃えて「シマ問題、後を追うような大気汚染、青空が戻った途端にこの鳥インフル、もうどうしたらいいのだ!」と嘆いていた。経費削減は既に限界、人員削減にも着手しなければならない状態になっているそうだ。まあ、今の時期に中国へ旅行する理由がなければ、敢えて来る必要もないのだが、日本の皆さんの脳裏に「中国は危険だ」とくっきり刻み込まれてしまったように思えることが残念でならない。 ここ数日は毎日のように鳥インフル関係の話題も報道されているが、無数に報道されるニュースのうちのひとつでしかない。日本のテレビでは何か話題があると(他に報道すべきニュースは無いのか?と突っ込みたくなるほどに)掘り下げたセンセーショナルな報道をしがちだと思う。 中国のニュースは政府の「国家を混乱させない」という意図が見え隠れするくらいで、普段から(愛国に関する内容以外は)割と淡々と報道しているように見える。もちろん、例外もあるが。 鳥インフル関連の報道を見て思うのは、2002年のSARSのときのような緊張感は見られないということだ。 もし本当に政府が報道規制をしていて偽の安全情報を流していたとしても、ツイッターや微博、口コミなどで隠し通すのは至難の技だ。そちら側で”盛り上がっていない”ことは、報道が概ね現実から乖離していないことの証明とも思える。 逆に日本大使館からのメールマガジンが、「鳥インフルエンザ関連速報」として毎日のように届き、中国国内での感染状況を懇切丁寧に教えてくれている。  17日現在、全国での死亡は17名で、ヒトからヒトへの感染は発見されていないそうだ。 北京のレストランでは鶏肉を避ける客も出ているそうだ。  敢えてリスクに挑戦する必要もないが、気にしすぎると何もできなくなってしまうのも現実だ。先日あった大気汚染関連のセミナーで「肺に良くないので、転職してでも今すぐ中国から離れたほうがいい」と言う医者がいたと聞いて、思わず苦笑してしまった。 大気汚染と鳥インフルで、日本の知人からいただいたお見舞いのメールには、「大気汚染で肺がやられて死ぬ前に、鳥インフルにかかって死ぬ前に、通勤で電動自転車を運転中に交通事故で死ぬ確率のほうが百倍高いです」と返答している。これが現実だからだ。  (おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

22:清明節の「焼紙」

2013年4月9日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.22

今年の清明節(旧暦2月14日)は、4月4日だった。清明節は中国の伝統的な祭日で、元宵(上元)、清明、立夏、端午、中元、中秋、夏至、除夕の八大祭日の一つだ。2008年に法定休日となり、2009年からは土日の振替制度を使った三連休となった。高速道路も三日間、通行無料となる。 清明節は日本のお盆に相当する意味合いが強い。数年前の清明節に義父母の生まれた寒村に行ったとき、土葬で盛り土された墓の前で、紙を燃やしているのを見た。これを「焼紙(銭)」と言うそうだ。紙を焼いて煙にし、添え物をあの世の親族へ届けるための儀式だ。 都市郊外にある霊園には、広い敷地の中に専用の焼却炉がある。炉にはいくつもの窓口があり、その上に写真を掲げ、その中に添え物を入れて煙にする。実際に果物を焼く場合もあるし、管もをから家電から動産不動産まで印刷された専用の紙を使うこともある。焼き終わったら、写真を外す。 昨年、焼紙にiPhoneが描かれていたものがあったとラジオで聞いた。この焼紙を買いに来た人が、「うちの先祖はiPhoneを使えるだろうか」と聞くと、店員は「スティーブン・ジョブスもあの世にいるから大丈夫。 ただし、ご先祖に面倒をかけないよう、充電器も忘れずに」と答えたとか。 今年の清明節、私は北京を離れることが出来ず、子どもたちと一緒に自宅で(夫の遺影の前に大皿を置いて)焼紙をした。北京の路上でも、夜になると帰省出来ない人たちがこっそり(注:火災防止で公共の場所で自由に火を扱うのはNGのため)焼紙をする光景を見ることがある。 焼紙には紙幣を模した「冥銭」も使うがこれがまた凄い。現在流通している人民元は最高額面が百元だが、冥銭には一億元や一兆元がある。  発行元もユニークだ。表面には「天地銀行」「天堂銀行」などとあるが、裏面には「BANK OF HELL(地獄銀行)」とか「 HELL BANK NOTE(地獄銀行券)」などと印刷されている。これはどういう意図だろう。 もしかして、「地獄の沙汰も金次第」?地獄でこそ金銭が必要だという深い思慮によるものなのか?そもそも、(この冥銭を送られる人は、天国?地獄?)どっちにいるのだろう?知りたいような、知りたくないような…。(おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

21:北京で献血

2013年3月26日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.21

3月18日、友人と献血に行ってきた。中国で献血するのは7回目だ。最初は2005年だった。その前に永久居留証の申請に関する法律が公布されていて、私は申請条件をとっくに満たしていたが、必要書類が多く、一年半かかってやっと提出した頃だった。しかし書類が受理されても、政府にツテもないので、公安部からの許可が下りる自信はなかった。

そんな時に、噂で「献血手帳(献血の記録が3回まで可能な手帳)を何枚も提出し、自分は中国にこれだけ貢献したとアピールした外国人が、すんなりと永久居留証をもらったらしい」と聞いたのが最初の献血のきっかけだった。中国での献血には少し不安もあったが、日本での献血に慣れていた私のほうが周囲にいた献血初体験の人々より落ち着いていたように思う。その後、妊娠、出産、授乳で献血から遠のいたが、申請から一年以上経っても音沙汰がなく、諦めた頃に永久居留証が交付されて歓喜した。

次に献血をしたのは2007年の秋。買物に出掛けた市場で献血車を見かけた。そこに書かれていた不足中の血液に私と同じ血液型があったため、迷わず車に乗った。

その四カ月後、夫が手術をした。中国の無償献血制度は、自分に血液が必要になった場合には、献血してから10年までは献血した分の5倍まで、10年後は2倍までを無償で使うことが出来る。また父母や配偶者、子どもには献血量の同量を“回して使う”ことが出来る。一回の採血は200または400mlで、献血後6カ月間は献血できない(成分献血であっても)というルールもある。そういうわけで、夫が必要になるかもしれないと思い、闘病中は可能な限り献血に行った。

2010年の秋、5回目の献血をした。ここまでは個人的な打算や偶発的なきっかけだったため、他人に呼び掛けるつもりもなかったし、献血に特別な思いがあったわけでもない。

昨年は、日中国交正常化四十周年の記念すべき年であったのに、各地で反日デモが発生した。政治力も財力も人脈も持たない私は、とてつもない無力感を感じていた。日本軍の残虐写真がテレビやネットで出回る中、ただ息を潜めるだけでなく、何かをしなくてはならないと考えた。

そして、せめて献血をすることにした。友人らにも呼び掛けた。昨年9月17日、デモで道路が封鎖されていた広州から北京に戻り、翌18日には賛同してくれた友人と待ち合わせて献血車に乗った。9月18日は満州事変勃発の日「九一八」であり、中国では祖国が辱められた日として特に反日意識が高まる。

あれからちょうど半年が経った。無償献血と言っても記念品があり、固辞しても結局持たされる。今回は三十元分の携帯電話チャージカードとバッジだった。Tシャツやキーホルダーを貰ったこともある。次回は半年後、やはり9月18日が目標だ。

自虐だ偽善だという見方もあるだろうし、献血がベストだとも思っていない。ただ、何かをせずにはいられないのと、他に出来ることもないだけだ。ベターなアイデアが浮かばないうちは続けようと思っている。(おわり)

(補足)2017年からは献血手帳に変わり、献血カードが導入されている。

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20:北京に戻って

2013年3月12日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.20

2週間の北海道横断を終えた。今回のメインは流氷体験だった。生まれて初めて砕氷船に乗り、動く流氷を見た。ヘリコプターに乗って空からも流氷を見たし、ウトロでは流氷ウオーキング(流氷の上を歩き、時々海に落ちては這い上がる)という体験もしてきた。

自ら体験したリアルな情報を、中国に戻ってから発信するためだ。 かつての私にとって北海道の冬といえば、苦手なスキーと除雪、アイスバーンと寒さというネガティブなイメージだった。まして流氷なんて、わざわざ見にゆくものではなく、流氷に持って沖に流される人たちを世間知らずだと思っていた。 だが、日常の面倒な除雪作業などに関係ない観光客にとって、雪も流氷も、非日常を体験できる夢の世界なのだ。

他の地域からみると、北海道は羨ましいほど季節感に富む自然の宝庫だ。 流氷を見たり雪に触る外国人観光客の顔は、驚きと喜びに満ちていた。私も観光客の立場で冬の北海道を体験し、十分な手応えと満足感を持って北京に戻った。

知り合いの日本通弁護士は、昨年初めて北海道の冬を体験して、一面の銀世界に魅入られたそうだ。先日挨拶に行くと、退職したら北海道に住むのが夢だとおっしゃった。「また行きたい」ではなく「住みたい」という言葉に、私のほうが驚いた。

北京に戻った翌日は、隔月で開催している北海道人会に参加した。毎回三十人以上が集まる。 北京の道人会では、参加条件を道産子、道内の留学生、道内居住者などに限っている。 今回の会場は北見本社の「オホーツクビール」。北京で本場北海道のお食事処といったら、焼肉の松岡、スープカレーの旬鮮本舗、そしてこのオホーツクビールの三箇所だ。 先日、ソラチのタレを使った「北海道豚丼」が北京発のN社ビジネスクラスの機内食に決まったとニュースで報じられた。その記念にと、(北海道人会事務局へ)ソラチの現地法人である焼肉松岡から豚丼ペア券をたくさん頂いた。N社からもグッズをいただいた他、スープカレーペア券や北海道関連グッズなど多くの方に協賛品をいただき、ひときわ賑わった。 そんなこんなで、北京に戻ってからも北海道の余韻に浸っている。道産品をお土産として配りながら「北海道出身です」と自慢できることをしみじみ幸運に思う。(おわり)

PS:2014年に北海道人会の幹事を引退した 2016年からは旭川を中心としたより深く濃い活動をするために「大雪ナナカマドの会」を運営している。

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19:塞翁が馬

2013年2月26日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.19

2月13日から北海道に帰省している。でも実家の旭川でゴロゴロしている時間はない。帰国の翌日、すぐに札幌に向かった。今回も出来る限り多くの関係者に会ってネットワークを広げること、また冬の北海道観光の醍醐味を可能な限り自分で見て体験しながら発信することが目的だ。

2週間の帰省中、4日間は中国のプロカメラマンに同行し、札幌から旭川、網走と観光視察する計画だった。18日の夕方、札幌から旭川に入った。カメラマンは旭川駅の木壁にたくさんの名前が彫られていることに驚いた。私はこの名前プロジェクトのことを説明しながら駅を出た。

夕食は駅から近いラーメン店「山頭火」だ。旭川に来てもらったらラーメン、これは私の鉄則だ。注文を終えたところで、名前プロジェクトの正しい情報を伝えようと思いiPadを取り出そうと鞄を開けた。そこで気づいた。さっき降りた列車にiPadを忘れてきたことを。

今回の帰省直前に購入したばかりのiPadには、今後のスケジュールがぎっしり記録されている。iPhoneは画面が小さすぎるので、その利便性を満喫し始めたばかりだった。

私はカメラマンに事情を説明しながらうろたえた。手元のiPhoneは中国携帯で日本では受信専用にしか使えなていなかったため、お店の方に最寄りの公衆電話の場所を尋ねた。すると「公衆電話は近くにはないから」とお店の電話を使うように勧めてくれたうえ、JRの忘れ物係につないでから受話器を渡してくれた。焦りながらJRの担当者に事情を話したところ、特徴などを確認され、それが届いていると告げられた。小躍りしそうなくらいに嬉しかった。ほっとしてラーメンをしっかり味わうことができた。

ラーメンを食べ終えると駅に向かった。私が忘れ物窓口で受け取る様子、受取表に署名する様子などをカメラマンに撮影してもらい、すぐに中国版ツイッター「微博(weibo)」で発信してもらった。言葉の違う外国人が旅行中に忘れ物をしたら大変ですよ、そんなメッセージのつもりだった。

すると予想以上に転送やコメントが続々と寄せられた。1日経ったところで、転送が百件、コメントは22件になった。その多くが、日本の安全性や道徳観を讃えるもので、日本旅行中に携帯電話や財布など貴重品を紛失したが、手元に戻ってきて感動した体験を書き込む人が続いた。

地元に戻って油断してしまったことを、ラーメンをすすりながら反省していたが、この”事件”が日本の治安の良さやモラルの高さを宣伝する思わぬ機会になった。人間万事塞翁が馬だ。(おわり)

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18:賑やかな春節

2013年2月11日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.18

今年の春節(旧暦の正月「大年初一」とも言う)は2月10日だ。大晦日に当たる前日の9日は「除夕」と言う。中国の年越しは、日本のように厳かでなく、爆竹をはじめ大小様々な花火で盛大に祝う。花火は年々改良されて豪華になり、奇抜なものが売られている。中にはまるで照明弾のような派手な花火もある。

14年前、初めての春節は当時暮らしていた河北省で迎えた。まだ生後数ヶ月だった長男が、やっと夜にぐっすり眠ってくれるようになった頃だった。除夕の午後から爆竹の音が聞こえはじめ、夜中の12時を過ぎる頃から急に激しくなり、道新花火大会のような花火が至るところで上がった(注:日本ように主催者がいて会場や点火場所やが固定されているのではなく、市民がそれぞれ自宅近くの空き地で好き勝手に花火を上げるのだ)。それからほぼ2週間、15日後の元宵節まで、窓ガラスが割れんばかりの爆竹の音が絶え間なく響いた。どこでも熟睡できる私が、あまりの爆音に寝不足の日々を過ごした。

2002年に北京に移ってからも、春節前には夫の親兄弟の残る河北省に家族全員で帰るのがルールだった。2008年からは、家族の事情や帰省するスタッフの穴埋めのため、私は北京に残ることにした。宿でスタッフやお客様と一緒に餃子を作って食べ、ロビーにテレビを設置して、「春晩」と呼ばれる紅白歌合戦のような番組を流す。

充満する火薬の匂い、機関銃のような音と振動、その臨場感は、事故や火災の不安も手伝って、まるで戦場のようでもあるが、新年を祝う希望に満ちたお祭りだ。たいていの日本人客は「こんなの日本ではあり得ない、すごい」と歓声を上げる。

1993年から2005年まで、北京市中心部での爆竹花火は安全面への配慮から全面禁止とされた。しかし、復活を望む声が多く、時間と場所を制限して(つまり、夜12時以前と環状5号線の内側はダメ)解禁になった経緯があるが、やはり規模は全体として縮小傾向にある。

春節には北京に住む外地人が田舎に帰り、一時的に北京の人口が減る。加えて去年は、春節期間中の海外旅行ブームが起こり、北京人の数が減った。今年も春節の海外旅行は好調らしい。

この状況に、連日の大気汚染警報が追い打ちをかけている。「爆竹や花火は空気を汚染するから禁止すべきだ」という意見も出てきた。縮小どころか、再び禁止になるかもしれない。

「春節の爆竹と花火を見たいから、毎年中国へ来る」と楽しみにしている人もいる。なんといっても中国の伝統文化だ。廃れてしまうのは残念でならない。(おわり)

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17:北京の大気汚染

2013年1月29日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.17

 

一月に入って北京の大気汚染警報が頻発している。 そもそも10年前だって、視界が白くなることはよくあった。乾燥しがちな冬は特に多く発生し、夜は空中の浮流物がライトに照らされ、全体的にぼんやりと明るくなって、まるで幻の中を歩くような感覚にさえなる。 当時の人々は、「大霧(濃霧)」と呼んでいた。大きな川も海もない乾燥した地域で、霧がどうやって発生するのだろうと最初は疑問に感じた。日本からの出張者に「これは何ですか?」と聞かれて「霧です」と答えたところ、「(霧じゃなくて)スモッグですよね」と言われて返事に窮したことがある。「もしやこれが?」とは思っても、確かめる手段はなかったのだ。 そんな私もそのうちに慣れてしまい、冬はこうゆうものなのだと違和感を持たなくなってしまった。それというのも、14年前に住んだ河北省石家庄市(大気の質は全国最低レベル)に比べたら、格段にマシだったのだ。 2008年の北京オリンピック開催決定の頃から、大気汚染防止等の環境保全への取り組みが目立つようになった。北京市内の大規模工場は郊外や他の街への移転を余儀なくされた。五輪期間中はナンバープレートの偶数奇数によって運転して良い日が制限される条例も導入された。五輪終了後も週に1日、特定の曜日の運転が禁止されている。 現在は自動車のナンバープレートそのものが、平均75倍の抽選に当選しなければ取得できず、新車の購入は実質制限されている。政府は力ずくで環境保全に取り組んでいる。 いつの頃からか、新聞で「大霧」と「スモッグ」が使い分けられるようになった。さらに昨年夏の大洪水以来、気象予報では警報が出るとメディア(テレビ、新聞、ラジオ、ネット)を使って速やかに周知されるようになった。かつて光化学スモッグのために「青空が無い」といわれた東京も復活した。 北京もきっと克服できるはずだ。(おわり)

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16:中国のマスメディア

2013年1月15日付け あさひかわ新聞 北京あれこれNo.16

中国に来たことがない人の中には、中国のマスメディアは人民日報と中国中央テレビくらいしかない、と思っている人がいるかもしれない。言論の自由がないのだからマスコミに書かれていることは政府のプロパガンダばかりだろうとか、中国人民は皆、政府発表の情報を鵜呑みにしているだろう、と思う人もいるかもしれない。 私が初めて中国に来たのは1997年で、住み始めたのは翌年だ。当時は中国語が全く解らなかったから新聞を読むことはなかったが、夫の実家にはいつも数種類の新聞があったし、テレビのチャンネルの多さに驚いた記憶がある。 現在北京で良く目にする新聞は、新京報(公称発行部数73万部)、京華時報(83万部)、北京青年報(60万部)などの報道系の朝刊紙のほか、北京晩報(120万部)や法制晩報(60万部)などの夕刊紙もある。 週二回発行でページの多さが際立つ精品購物指南(30万部)は消費世代に人気で、高級ブランドの広告や不動産の広告が多い。他にも文学、経済、軍事などの専門誌と、新聞販売店の窓口には多種多様の新聞が並ぶ。人民日報(300万部)が中央政府の宣伝紙であるという認識は普遍的なようで、「書かれている真実は日付だけだ」と言う人も珍しくない。テレビは、有線で年間百数十元(二千円前後)の視聴料が必要だが、中央テレビ系のチャンネルが15あるほか、各地域でもそれぞれチャンネルを持っている。  例えば北京では北京テレビ台のチャンネルが10あり、他に区ごとのチャンネルもある。他の省や都市も独自のチャンネルがあり、ざっと百数十チャンネルにもなる。 業者を通せば別料金で海外テレビも視聴できる。ネットテレビを導入した我が家では、日本の関東局と関西局、BSも視聴でき、時間さえあれば日本よりもテレビライフを楽しむことができる。 ところが現代のモバイル世代の若者は、新聞やテレビよりもPCやスマートフォンから欲しい情報だけを取り出しているそうだ。溢れる情報の中から、自分に必要な情報を選択し、自分なりのコメントや評価をつける。 その情報はさらに広がってゆく。新聞やテレビから一方的に情報を与えられた時代が終わり、インターネットの普及により誰でも情報源になったり、世論を動かす可能性をもちうる時代になった。 重要なのは、マスコミやインターネット上の情報を鵜呑みにしないということだ。報道には意図的なもの、間違い、一方的一面的なものがあるということを認識しなければならない。新聞に書いてあることを、そのまま真実だと思い込む体質の人は、むしろ日本人の方が多いように思う。(おわり)

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15:やっぱり石原氏

2012年12月11日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.15

日本では総選挙が告示された。北京でも、日本人向けの雑誌や大使館情報で在外投票の告知や連絡が出回り、臨場感が出てきた。

(以前)こちらの新聞では日本の総選挙に関する記事をあまり目にしなかったが、12月4日の総選挙告示のニュースと写真が、翌日の新聞に掲載されていた。そして小見出しにはやはり、石原元都知事の名前があった。

これまでにも、メディアやネット上で石原氏の言動はよく取り上げられている。定例記者会見では中国のことを蔑称の「支那」と呼んでいたし、中国に対する嫌悪感をあからさまに表明する人が隣国の首都の長だったのだから、懸念(というより批判)が集まるのは当然だろう。

「石原氏が支那と呼ぶのは誤りであるが、中国も日本のことを小日本と呼ばないでほしい」と細野豪志・民主党政調会長が発言したが、そもそも中国の政治家、しかも首都の長たる要職にある立場の人で、公式の場で故意に「小日本」と発言した人がかつて存在したのだろうか?一般市民が言うのと、国や自治体の代表者が公式の場で発言するのは影響力も印象も明らかに違うはずだ。その頃、何を思ったのか天下の朝日新聞網の公式微博(中国版ツイッター)が、「それなら”小日本”と呼ばずに、”鬼子(鬼畜)”と呼べばいい」とつぶやいたことで、ある人は賛同し、ある人は失笑して「面白すぎる」と話題にした。

日中関係が領土問題で緊張し、デモが発生し、メディアでも世間でも常に話題の中心だった時期に比べると、現在はやや落ち着いた感がある。少なくとも、タクシーで運転手に「何人だ?(よもや日本人ではあるまな)」という威圧的な質問を受けることが少なくなったし、「公衆の場で日本語を話すと危険を感じる」という雰囲気ではなくなった。

とはいえ、今後も石原氏の言動は逐一報道され、そのたびに相応の反響を生むだろう。石原氏の一言で、必死につなぎ直そうとしている絆の紐を手放さなければならないような事態には、絶対にしてはいけない。(おわり)

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14:陳言さんの講演会

2012年11月27日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.14

 

親日派ジャーナリスト、陳言さんの講演会に行ってきた。陳さんのブログ「素描日本」は合計1800万のページビューがあるそうだ。 歴史、経済、政治そして文学と、さすがに話題が豊富だった。彼の言葉は、日本や日本人への共感と希望、共存共栄してゆく未来への期待に溢れていた。もちろん150人の日本人参加者を前にしたリップサービスの可能性もないではないが。 中国では習近平総書記による新体制がスタートした。 陳さんは習総書記について、「日本に対して友好的な気持ちを持っているはずだから、日本のマスコミはむやみに批判すべきではない」とコメントした。陳さんは青年の頃に日本の若者との交流会に参加した経験があり、それがきっかけで日本や日本人に興味とともに好感を持ったそうだ。その交流会には(若き日の)習総書記も参加していたらしい。「潜在的な親日派に対し、日本のマスコミも世論も不用意に批判するのではなく、冷静かつ好意的な態度で見守るべきだ。日中両国、更にはアジアの近隣諸国が共存発展してゆくことを願い、信じ、支えてゆきべきだ」というのが陳さんの主張だった。 陳さんの話に笑った場面もあった。江沢民時代には、愛国教育として抗日映画が多数放映されていた。テレビをつけるとニュースか、京劇か、抗日ドラマの三択しかなかった時期があった。胡主席になり、確実に路線は変わったが、それでも抗日ドラマは少ないながらも存在している。それはなぜか?「アメリカ、ロシアや他の国との戦争ドラマなら外国人キャストが揃いません。どんなにメイクをしても中国人がアメリカ人、ロシア人に化けるのは困難です。その点をクリアできるのは抗日ドラマだけ」。それだけが理由ではないことは誰もが知っていたが、ユニークな視点に会場がどっと湧いた。 陳さんも触れていたが、青年や学生など若く多感な世代の交流は、きっと私たち大人の責任として推進してゆくべきなのだろう。 反日や反中行動をする人の多くは、相手国に一人の知人もいないか、情のこもった交流を経験したことがないはずだ。だからマスコミ経由の(限定された)情報に左右されてしまうのだ。 修学旅行やホームステイで北海道により多くの子どもたちを送りたい。そこでドサンコの友達をたくさんつくってもらいたい。お互いに刺激を受け、将来への絆と信頼関係を育んでもらいたい。帰路にそう願わずにはいられなかった。(おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。 現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

13:北京で初雪

2012年11月13日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.13

 

11月4日未明、北京に初雪が降った。高速道路の一部は積雪のため封鎖され、郊外では50センチもの大雪になった。交通は麻痺し、雪に埋まった車を武装警察が救助する様子を、テレビが繰り返し流していた。 この週末に雪が降ることは、随分前から予報が出ていて、テレビでも新聞の一面でも注意を呼びかけていた。そのせいか、例年は11月15日に正式スタートする集中スチーム暖房が、今年は3日から、一部の建物はそれより前に始まっていた。暖房の開始日は、専門家や関係者が会議で検討して発表する。寒くなると皆がこの情報に敏感になる。なんとも社会主義的である。 こちらのスチーム暖房(中国語では、暖気、暖気管と呼ぶ)は、エリアごとに一斉供給される仕組みで、事務所や学校などあらゆる建物に設置されている。新築マンションは、内装のないコンクリート打ちっぱなしの状態で販売するのが普通だが、暖房は水道や下水設備と同様、最初から設置されている。  暖房料金は居住面積に比例する。 私の自宅ではひと冬(四ヶ月間)で約3700元(約4万7千円)を支払う。 98年当時住んでいた河北省のアパートでは、隣人が暖房費を払っていなかったために、アパート全体が暖房供給をストップされたことがあった。当時のエアコンは暖房機能がなかった(冷房だけだった)から、家の中で家族全員が震えながらオーバーを着ていた。 水道から出る水が氷のように痛かったことが今では懐かしい。 現在では、北京政府の人道的配慮で、暖房費が未納であっても、住人がいれば、、暖房供給のストップはできなくなった。生活レベルはもちろん、行政サービスも確実に進化している。 ところで、この最悪の天気のときに、大雪山系トムラウシの悲劇を彷彿させる事件が起こった。 誰かを責めても仕方がない。異国の地で寒さに凍えた遭難者の冥福を祈るとともに、吹雪の長城で深夜未明から捜索にあたった150人もの救援隊員に感謝することのほうが重要だろう。(おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。 刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

12:福州の日本人ホームレス

2012年10月30日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.12

反日デモの報道の最中に驚くべき記事があった。四十半ばの日本人男性が、福建省福州市の駅で一ヶ月以上もホームレス生活をし、その間周囲の中国人から食事を与えられていたというのだ。 記事によると、彼は三ヶ月間前に所持金1万元(約13万円)程度で中国へ観光に来て、上海などを見てから福州にいる友人を訪ねた。しかし、あいにく友人は用事で日本へ戻っていたため一人で福州観光に向かった。ところが、駅で下車した時に、財布とパスポートを紛失したことに気づいた。言葉が通じないうえ、福州に知人がいないため、そのまま駅に留まりホームレスとなった。周囲の中国人は言葉が通じない彼を気の毒に思い、食べ物を提供していたのだ。これが最初に報道されたのは10月6日付けの海峡都市報だった。続報があったのは、国慶節が終了したあとの10月10日から12日にかけて。大使館の連休が終了し、めでたく(帰国のための臨時)パスポートが申請できる目処がたってからだ。ネット上には本人手書きの感謝の手紙が掲載されていた。手紙には、駅でホームレスをしていた間、福州市民はみな優しく接してくれた。一ヶ月間、食事の時間になるたびに、多くの市民が食べ物をくれ、数日前に冷え込むと厚手の衣服数着もくれたと書いてある。 記事を書いた記者は、既に彼を所轄の派出所へ連れていって(不法滞在にならないために必要な)証明書類の発行を手伝い、日本の上海総領事館にも連絡した。記事はそこまで。その後、この件に関する報道はこちらではされていない。 この話題は、デモのニュースが溢れる中で、中国のツイッターでも話題となった。  「言葉が通じないとはいえ、いくらなんでもこの時代になぜ?」という疑問や、安易にホームレスになることへの批判もあったが、多くは福州市民の人道的な行為を讃えるものだった。  反日デモで暴動をしたのも中国人。彼の財布やパスポートを奪ってホームレスにしたもの中国人。そして彼に食事や衣服を与えたのも中国人だ。日本のワイドショーや週刊誌が根掘り葉堀り報道するのにはうってつけの記事だと思うのだが。。。 (終わり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

11:ピンチの間にチャンスをつかめ

2012年10月16日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.11

 

日中関係は冷え切ってしまった。  訪日ツアーや出張は軒並みキャンセルとなり、日本航空と全日空両社のフライトキャンセルは計6万席になった。 このような状態では「これだから中国は信用できない」「中国とのビジネスはリスクが大きすぎる」と対中ビジネスからの撤退や規模縮小の動きもあるだろう。まして、平和産業である旅行業界では、重要ターゲットであった大陸の”富裕層”を棚上げして、東南アジア等にシフトする動きも進むだろう。 対中旅行業にとっては大きなピンチだ。 沖縄の琉球新報10月4日付け報道によると、沖縄県はこのトラブルで訪日ツアーをキャンセルした中国人旅行客は4300人で、那覇空港から出発する中国人旅行者の一人あたりの平均消費額8万7910円を踏まえて、損害額を4億円と推定した。 ちなみに、昨年度札幌市を訪問した中国人旅行客は6万4千人。 沖縄発表の消費額をもとに単純計算すると、昨年度一年間で56億円を消費していた計算になる。観光庁(中国では「日本国家旅遊局」という)が発表した4〜6月の中国人旅行客の平均購買消費額17万6534円で計算すると、ざっと113億円だ。 昨年中国から海外旅行をした人は、一昨年より22.4%増え7025万人に達した。だが、そのうち札幌へ来たのは0.1%にも満たない。北海道が人気スポットなのは事実だが、まだ始まったばかり。それでも56億あるいは113億を消費してくれているのだ。 この数字では、中国の海外旅行ブームの恩恵を受けていると言えるレベルにはほど遠い。 一方で中国国内のテレビ番組は、アメリカを旅行する中国人の平均消費額が7000ドル(約56万円)だと発表している。 道内では「中国人はなかなかお金を落としてくれない」と聞くが、実際にはもっと落としてもらう工夫が可能であり、かつ落としやすい人がまだ来ていないということだ。 北海道をより楽しんでもらい、しっかりお金を使ってもらえる作戦を、今のうちに着実に進めることが重要だ。北海道の経済活性化に大きく期待できることをより多くの人が理解して、中国人観光客の歓迎ムードをつくることだ。 そうして来たるべき真の北海道ブームの際には、万全の体制で臨み、気持ちよ〜く消費してもらおうではないか。 (おわり)

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10:反日デモと暴動

2012年10月2日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.10

9月11日の尖閣国有化を受けて中国全土の100ヶ所以上で大小様々な反日デモ活動が行われ、一部は暴徒となった。 私は15日から17日かけて広州に行っていた。市内では道路封鎖が行われていたし、日系コンビニやスーパーの前には警備員が立っていた。 北京に戻ると、報道の通り、大使館周辺や付近のレストラン街はデモや警備、交通規制で混乱していた。  ジャスコでは日本食材コーナーが韓国製品に替わっただけで、通常営業をしている(26日現在、日本食材は販売を再開していた)。  青島のジャスコの割られた窓ガラスや、炎を上げる本田車販売店の写真がネットに投稿されているのを見たが、北京でそこまでの暴動は到底考えられない。  大連ではデモの発生すらなかったそうだ。  しかし山西省の平遥へ行った友人は、(チェックインにはパスポートが必要なため、日本人であることを伏せることができず)すべての宿で宿泊拒否に遭い、怖い思いをして慌てて(北京に)戻ったそうだ。  地域によって状況に違いがあるのが中国らしい。 一部には官製デモだという見方もあるが、それは(北京においては)あり得ない。日本よりも政治家の層も厚く人材も情報も豊富な中国共産党の中央執行部が、(いくらヤラセが得意だとしても)デモ隊を組織して外交カードに使おうなどという安易でリスキーな手段をこの場で選ぶはずがない。 ペットボトルや生卵などを配布したり、政府系の人間が紛れ込んでいたことは考えられるが、デモ隊に交渉可能なリーダーがいなかったからこそ、コントロールに手を焼き、(中国政府から)会社への通達や(個人への)携帯メッセージで広くデモ参加への自粛を呼びかけることまでしたのだと思う。 私の周辺の中国人にはデモの暴動を批判する人が多く、(私や子どもたちの)安否確認や注意喚起の連絡が相次いだ(何年も連絡が途絶えた親戚や、カナダに移住した夫の幼馴染から国際電話までかかってきたのには驚いた)。 新浪微博(中国版ツイッター)には、「医療や就労や住居等すべてに満足して他に問題がなく、本当に暇な人は(暇つぶしに)デモに参加すれば良い」という皮肉もあった。  南京大虐殺を否定する声がある日本に対し、戦後処理への不満があり、記憶として侵略被害経験のある中国で、庶民に対日不信感が根強く残ることは否定しない。 また、日本の反中デモの映像や中華系学校への放火騒ぎの報道を受けて「いま日本に行ったら日本人に殴られる」と心配して、訪日旅行を取りやめる人が相次ぐ現状からも、日本が理解されていないことが窺える。 そのような中で、(売国奴呼ばわりされるリスクもあるのに、敢えてこの時期に)「日本人は親切。嫌な思いは一切していない」と発信を続けている在日中国人たちがいる。我々平民は、そういう身近にいる中国人との相互理解を深め、共感できる絆を草の根でつくるしかないのかもしれない。(おわり)

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9:40周年記念に思う

2012年9月18日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.9

 

今年は日中国交正常化40周年記念の年である。「日中国民交流友好年」として、日本の政界と経済界の重鎮の名前が連なる巨大な実行委員会組織をつくり、40周年記念行事を主催または認定している。 これだけ規模の大きな組織であるが、現在確認できる主催行事はというと、(1)2月16日の北京開幕式、(2)4月9日の蔡特使来日歓迎レセプション、(3)関口知弘氏の「中国縦断ふれあいの旅」の3つだけだ。 認定行事は無数にあるが、例年開催しているイベントに40周年を取って付けたようなものが多い気がする。 40周年が添え物のように扱われているような印象すら感じてしまう。 石原愼太郎都知事が尖閣諸島の購入云々で動き出したことがきっかけで、今年も中国のいくつかの都市でデモが発生し、ネット上は反日で盛り上がり、丹羽大使の公用車用国旗が奪われる事件まで起きた。2年前の漁船衝突事件では、民衆はもちろん中国企業も、不買運動や訪日旅行キャンセルなどで大々的に反日をアピールすることで真の愛国者として評価される雰囲気があり、反日一色で染まったような時期すらあった。 しかし今年はやや空気が違う気がする。そもそも中国国営テレビの報道では(それまでのように)「日本が」とは言わずに、「石原都知事が」「日本の右翼が」「アメリカが」と敢えて細かく(主体を)表現することに意図的な冷静さと慎重さを感じる。  石原知事に動きがあれば、翌日の新聞に載りテレビ番組に軍事専門家が登場して解説するが、それは敏感に反応しているというよりも、慎重に(やむなく?)対応しているといった印象だ。国内の安定や戦略がその目的だとしても、中国政府のほうが日本政府よりも日中間の平和と共栄をより強く望んでいるのかもしれない。 石原知事の動きに反感を感じつつも、この40周年という年を平和に過ごすために、無数の親日派や政府関係者らが動いている気配を感じる。 そのような状況で、主に日本人や日系企業向けのビジネスイベントにまで40周年という冠をつけることが適切なのだろうか。  先日、盧溝橋事件を連想させる日に七夕祭りを開く話を聞いた。日本人主催者らには悪意があるとは思わないが、ここでは「知らなかった」では済まされないことが多いし、下手すると溝を深めて状況を複雑にしかねない。 40周年の年だからこそ、より慎重に考え行動して、中国の人々に少なくとも誤解は与えないような配慮と認識が必要だと思うのは私だけではないはずだ。(おわり)

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8:もうすぐ中秋節

2012年9月4日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.8

 

中国ではお正月を春節と呼び、旧暦(太陰暦、中国語では「農歴」という)で祝うことはよく知られている。その他にも多くの伝統行事を旧暦で祝う。なかには誕生日も旧暦で祝う人がいるので要注意だ。私も以前、暦を見たら義母の旧暦の誕生日が過ぎていて大いに反省したことがある。今年は閏年で、四月が二回あった。西暦との距離感を特に感じる一年だ。旧暦の8月15日は中秋節、今年は9月30日である。 日本でも中秋の名月や十五夜と呼ばれて親しまれている。ちなみに、道教に由来する中元(7月15日)とは別物だ。この中秋節の一ヶ月程前になると、老舗の菓子屋はもちろんのこと、ホテルやレストランなどがこぞって独自の”月餅”を売り出す。日本では月餅に季節感はないかもしれないが、中国では正にこの中秋節に食べるものなのだ。そして、日本のお中元と同様に、お世話になっている人への贈り物として月餅の大箱が中国全土で飛び交う。月餅は、バラ売りで一個数元の自宅向けのものから、数個入りで一箱500元を超える贈答用まで、多種多様だ。10年前は餡の種類が少なく味も素朴過ぎて、梅屋のシュークリームや、壺屋のケーキで育った私に合うものは皆無だった。しかしここ数年は各社が競って商品開発と研究を重ねてきたようで、買ってもでも食べてみたいと思える商品が出てきた。昨年はハーゲンダッツやスターバックスの月餅が値段も高く個性を発揮していた。今年は井村屋(の現地法人)までもが、カステラと月餅の贈答用セットを販売していた。以前、ホステルに宿泊中のお客様や北京在住の友人たちを招いて、「月餅食べ比べ品評会」なるものを企画したことがある。製造元や餡の味をいろいろ集めて順位をつけた。 抹茶味や珈琲味、ティラミス味やクリームチーズ味は良かったが、蟹ミソ味のような意図不明のものもあり、時代を感じつつ皆で楽しんだ。 最近は時間に余裕がなく(館内でのイベントは企画していないが)、中秋節には月餅を、端午節にはチマキをフロントで配っている。また春節は毎年餃子を茹でて振る舞い、一番大きなテレビをロビーに運んで春節晩会(中国晩の紅白歌合戦のようなもの)を流す。 うちのホステルは外国人よりも中国系のお客様が多い。実家で大家族と過ごすことが望ましいとされる伝統的な祭日に、北京で、しかもうちのような全室シャワー&トイレ共同の半地下ホステルで過ごしてくださるお客様に、ご縁と感謝を感じないではいられない。(おわり)

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7:無料wifiで観光促進を

2012年8月21日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.7

フェイスブックに代表されるSNSは、中国では「QQ」と「新浪微博」が最大手だ。 QQはチャット式の会話や大容量データ送信に大変便利であり、昨年末にアクティブ・アカウントが7億を超えたらしい。同時にオンラインしている数は約1.5億という驚異的な数字だ。またツイッター型の微博(マイクロブログ、中国語ではweibo )は今年3月で3億アカウントを突破し、毎日の書き込み数は1億を超える。 ネット上では、日常ネタから政治ネタまであらゆる情報が書き込みされ、更にコメントを増やして膨張してゆく。 自分がフォローしている人の書き込みをチェックするだけでも時間が足りない。今年2月、日本人旅行者が世界旅行の果てに中国の武漢市で自転車を紛失した(実際には盗難)事件があった。これについて5万人ものユーザーが書き込みや転送をし、TVニュースでの放映につながり、わずか数日で事件を解決させるほどの影響力を発揮した。これは特殊な例ではあるが、要は使い方と使わせ方がポイントだ。 スマートフォンの普及にあわせ、北京市内の至る所でwifiが飛んで活用を促進している。 オフィスやホテルは当然ながら、空港でもマクドナルドでも公衆wifiが飛んでいる。市内では、職場でも、家でも、外出先でも、どこでもwifiの電波に囲まれた生活をしている。 大量の情報とアクセスフリーのインターネット環境に慣れてしまった北京のホワイトカラーたちは、日本に旅行すると、通信インフラ、特に公衆wifiの立ち遅れに驚く。地図や辞書などの機能を使うためにスマートフォンやipadなどを取り出してさあ調べようと思っても、日本の通信会社と定期契約しているユーザーしか使えない。もしくは高額な国際ローミング料金を支払わなければならない。場所によっては、電波すら飛んでいない。言葉が通じない外国で、その不便さは身にしみる。 たとえばJR各駅、宿泊施設、観光施設、レストランなどの商業施設とそれぞれが、まず自分ノエリアで無料wifiを旅行者に解放してみてはどうだろう。 その点が線になる面になると、より快適に北海道旅行を楽しんでもらえるに違いない。 (おわり)

PS:この記事を書いた数年後、東京エリアや札幌エリアで『外国人観光客対応」という名目の公衆wifiをいくつか確認したが、「実用的に使える」と思えたものは一つもなかった。逆に「当てにして失敗した」と恨み言のクレームをよく聞いた。私自身も試したが、少し移動すると切れたり、やっと繋がっても遅くて写真一枚アップできなかったりで、実際まったく使いものにならなかった(発注側も、受注側も、国内契約していない携帯やipadで検証してみたのだろうか?甚だ疑問だ)。現在は、中国出国時に海外向けのレンタル移動wifiを携帯するのが常識となっている。 

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。 刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。