18:賑やかな春節

2013年2月11日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.18

今年の春節(旧暦の正月「大年初一」とも言う)は2月10日だ。大晦日に当たる前日の9日は「除夕」と言う。中国の年越しは、日本のように厳かでなく、爆竹をはじめ大小様々な花火で盛大に祝う。花火は年々改良されて豪華になり、奇抜なものが売られている。中にはまるで照明弾のような派手な花火もある。

14年前、初めての春節は当時暮らしていた河北省で迎えた。まだ生後数ヶ月だった長男が、やっと夜にぐっすり眠ってくれるようになった頃だった。除夕の午後から爆竹の音が聞こえはじめ、夜中の12時を過ぎる頃から急に激しくなり、道新花火大会のような花火が至るところで上がった(注:日本ように主催者がいて会場や点火場所やが固定されているのではなく、市民がそれぞれ自宅近くの空き地で好き勝手に花火を上げるのだ)。それからほぼ2週間、15日後の元宵節まで、窓ガラスが割れんばかりの爆竹の音が絶え間なく響いた。どこでも熟睡できる私が、あまりの爆音に寝不足の日々を過ごした。

2002年に北京に移ってからも、春節前には夫の親兄弟の残る河北省に家族全員で帰るのがルールだった。2008年からは、家族の事情や帰省するスタッフの穴埋めのため、私は北京に残ることにした。宿でスタッフやお客様と一緒に餃子を作って食べ、ロビーにテレビを設置して、「春晩」と呼ばれる紅白歌合戦のような番組を流す。

充満する火薬の匂い、機関銃のような音と振動、その臨場感は、事故や火災の不安も手伝って、まるで戦場のようでもあるが、新年を祝う希望に満ちたお祭りだ。たいていの日本人客は「こんなの日本ではあり得ない、すごい」と歓声を上げる。

1993年から2005年まで、北京市中心部での爆竹花火は安全面への配慮から全面禁止とされた。しかし、復活を望む声が多く、時間と場所を制限して(つまり、夜12時以前と環状5号線の内側はダメ)解禁になった経緯があるが、やはり規模は全体として縮小傾向にある。

春節には北京に住む外地人が田舎に帰り、一時的に北京の人口が減る。加えて去年は、春節期間中の海外旅行ブームが起こり、北京人の数が減った。今年も春節の海外旅行は好調らしい。

この状況に、連日の大気汚染警報が追い打ちをかけている。「爆竹や花火は空気を汚染するから禁止すべきだ」という意見も出てきた。縮小どころか、再び禁止になるかもしれない。

「春節の爆竹と花火を見たいから、毎年中国へ来る」と楽しみにしている人もいる。なんといっても中国の伝統文化だ。廃れてしまうのは残念でならない。(おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

17:北京の大気汚染

2013年1月29日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.17

 

一月に入って北京の大気汚染警報が頻発している。 そもそも10年前だって、視界が白くなることはよくあった。乾燥しがちな冬は特に多く発生し、夜は空中の浮流物がライトに照らされ、全体的にぼんやりと明るくなって、まるで幻の中を歩くような感覚にさえなる。 当時の人々は、「大霧(濃霧)」と呼んでいた。大きな川も海もない乾燥した地域で、霧がどうやって発生するのだろうと最初は疑問に感じた。日本からの出張者に「これは何ですか?」と聞かれて「霧です」と答えたところ、「(霧じゃなくて)スモッグですよね」と言われて返事に窮したことがある。「もしやこれが?」とは思っても、確かめる手段はなかったのだ。 そんな私もそのうちに慣れてしまい、冬はこうゆうものなのだと違和感を持たなくなってしまった。それというのも、14年前に住んだ河北省石家庄市(大気の質は全国最低レベル)に比べたら、格段にマシだったのだ。 2008年の北京オリンピック開催決定の頃から、大気汚染防止等の環境保全への取り組みが目立つようになった。北京市内の大規模工場は郊外や他の街への移転を余儀なくされた。五輪期間中はナンバープレートの偶数奇数によって運転して良い日が制限される条例も導入された。五輪終了後も週に1日、特定の曜日の運転が禁止されている。 現在は自動車のナンバープレートそのものが、平均75倍の抽選に当選しなければ取得できず、新車の購入は実質制限されている。政府は力ずくで環境保全に取り組んでいる。 いつの頃からか、新聞で「大霧」と「スモッグ」が使い分けられるようになった。さらに昨年夏の大洪水以来、気象予報では警報が出るとメディア(テレビ、新聞、ラジオ、ネット)を使って速やかに周知されるようになった。かつて光化学スモッグのために「青空が無い」といわれた東京も復活した。 北京もきっと克服できるはずだ。(おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

16:中国のマスメディア

2013年1月15日付け あさひかわ新聞 北京あれこれNo.16

中国に来たことがない人の中には、中国のマスメディアは人民日報と中国中央テレビくらいしかない、と思っている人がいるかもしれない。言論の自由がないのだからマスコミに書かれていることは政府のプロパガンダばかりだろうとか、中国人民は皆、政府発表の情報を鵜呑みにしているだろう、と思う人もいるかもしれない。 私が初めて中国に来たのは1997年で、住み始めたのは翌年だ。当時は中国語が全く解らなかったから新聞を読むことはなかったが、夫の実家にはいつも数種類の新聞があったし、テレビのチャンネルの多さに驚いた記憶がある。 現在北京で良く目にする新聞は、新京報(公称発行部数73万部)、京華時報(83万部)、北京青年報(60万部)などの報道系の朝刊紙のほか、北京晩報(120万部)や法制晩報(60万部)などの夕刊紙もある。 週二回発行でページの多さが際立つ精品購物指南(30万部)は消費世代に人気で、高級ブランドの広告や不動産の広告が多い。他にも文学、経済、軍事などの専門誌と、新聞販売店の窓口には多種多様の新聞が並ぶ。人民日報(300万部)が中央政府の宣伝紙であるという認識は普遍的なようで、「書かれている真実は日付だけだ」と言う人も珍しくない。テレビは、有線で年間百数十元(二千円前後)の視聴料が必要だが、中央テレビ系のチャンネルが15あるほか、各地域でもそれぞれチャンネルを持っている。  例えば北京では北京テレビ台のチャンネルが10あり、他に区ごとのチャンネルもある。他の省や都市も独自のチャンネルがあり、ざっと百数十チャンネルにもなる。 業者を通せば別料金で海外テレビも視聴できる。ネットテレビを導入した我が家では、日本の関東局と関西局、BSも視聴でき、時間さえあれば日本よりもテレビライフを楽しむことができる。 ところが現代のモバイル世代の若者は、新聞やテレビよりもPCやスマートフォンから欲しい情報だけを取り出しているそうだ。溢れる情報の中から、自分に必要な情報を選択し、自分なりのコメントや評価をつける。 その情報はさらに広がってゆく。新聞やテレビから一方的に情報を与えられた時代が終わり、インターネットの普及により誰でも情報源になったり、世論を動かす可能性をもちうる時代になった。 重要なのは、マスコミやインターネット上の情報を鵜呑みにしないということだ。報道には意図的なもの、間違い、一方的一面的なものがあるということを認識しなければならない。新聞に書いてあることを、そのまま真実だと思い込む体質の人は、むしろ日本人の方が多いように思う。(おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

15:やっぱり石原氏

2012年12月11日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.15

日本では総選挙が告示された。北京でも、日本人向けの雑誌や大使館情報で在外投票の告知や連絡が出回り、臨場感が出てきた。

(以前)こちらの新聞では日本の総選挙に関する記事をあまり目にしなかったが、12月4日の総選挙告示のニュースと写真が、翌日の新聞に掲載されていた。そして小見出しにはやはり、石原元都知事の名前があった。

これまでにも、メディアやネット上で石原氏の言動はよく取り上げられている。定例記者会見では中国のことを蔑称の「支那」と呼んでいたし、中国に対する嫌悪感をあからさまに表明する人が隣国の首都の長だったのだから、懸念(というより批判)が集まるのは当然だろう。

「石原氏が支那と呼ぶのは誤りであるが、中国も日本のことを小日本と呼ばないでほしい」と細野豪志・民主党政調会長が発言したが、そもそも中国の政治家、しかも首都の長たる要職にある立場の人で、公式の場で故意に「小日本」と発言した人がかつて存在したのだろうか?一般市民が言うのと、国や自治体の代表者が公式の場で発言するのは影響力も印象も明らかに違うはずだ。その頃、何を思ったのか天下の朝日新聞網の公式微博(中国版ツイッター)が、「それなら”小日本”と呼ばずに、”鬼子(鬼畜)”と呼べばいい」とつぶやいたことで、ある人は賛同し、ある人は失笑して「面白すぎる」と話題にした。

日中関係が領土問題で緊張し、デモが発生し、メディアでも世間でも常に話題の中心だった時期に比べると、現在はやや落ち着いた感がある。少なくとも、タクシーで運転手に「何人だ?(よもや日本人ではあるまな)」という威圧的な質問を受けることが少なくなったし、「公衆の場で日本語を話すと危険を感じる」という雰囲気ではなくなった。

とはいえ、今後も石原氏の言動は逐一報道され、そのたびに相応の反響を生むだろう。石原氏の一言で、必死につなぎ直そうとしている絆の紐を手放さなければならないような事態には、絶対にしてはいけない。(おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

14:陳言さんの講演会

2012年11月27日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.14

 

親日派ジャーナリスト、陳言さんの講演会に行ってきた。陳さんのブログ「素描日本」は合計1800万のページビューがあるそうだ。 歴史、経済、政治そして文学と、さすがに話題が豊富だった。彼の言葉は、日本や日本人への共感と希望、共存共栄してゆく未来への期待に溢れていた。もちろん150人の日本人参加者を前にしたリップサービスの可能性もないではないが。 中国では習近平総書記による新体制がスタートした。 陳さんは習総書記について、「日本に対して友好的な気持ちを持っているはずだから、日本のマスコミはむやみに批判すべきではない」とコメントした。陳さんは青年の頃に日本の若者との交流会に参加した経験があり、それがきっかけで日本や日本人に興味とともに好感を持ったそうだ。その交流会には(若き日の)習総書記も参加していたらしい。「潜在的な親日派に対し、日本のマスコミも世論も不用意に批判するのではなく、冷静かつ好意的な態度で見守るべきだ。日中両国、更にはアジアの近隣諸国が共存発展してゆくことを願い、信じ、支えてゆきべきだ」というのが陳さんの主張だった。 陳さんの話に笑った場面もあった。江沢民時代には、愛国教育として抗日映画が多数放映されていた。テレビをつけるとニュースか、京劇か、抗日ドラマの三択しかなかった時期があった。胡主席になり、確実に路線は変わったが、それでも抗日ドラマは少ないながらも存在している。それはなぜか?「アメリカ、ロシアや他の国との戦争ドラマなら外国人キャストが揃いません。どんなにメイクをしても中国人がアメリカ人、ロシア人に化けるのは困難です。その点をクリアできるのは抗日ドラマだけ」。それだけが理由ではないことは誰もが知っていたが、ユニークな視点に会場がどっと湧いた。 陳さんも触れていたが、青年や学生など若く多感な世代の交流は、きっと私たち大人の責任として推進してゆくべきなのだろう。 反日や反中行動をする人の多くは、相手国に一人の知人もいないか、情のこもった交流を経験したことがないはずだ。だからマスコミ経由の(限定された)情報に左右されてしまうのだ。 修学旅行やホームステイで北海道により多くの子どもたちを送りたい。そこでドサンコの友達をたくさんつくってもらいたい。お互いに刺激を受け、将来への絆と信頼関係を育んでもらいたい。帰路にそう願わずにはいられなかった。(おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。 現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

13:北京で初雪

2012年11月13日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.13

 

11月4日未明、北京に初雪が降った。高速道路の一部は積雪のため封鎖され、郊外では50センチもの大雪になった。交通は麻痺し、雪に埋まった車を武装警察が救助する様子を、テレビが繰り返し流していた。 この週末に雪が降ることは、随分前から予報が出ていて、テレビでも新聞の一面でも注意を呼びかけていた。そのせいか、例年は11月15日に正式スタートする集中スチーム暖房が、今年は3日から、一部の建物はそれより前に始まっていた。暖房の開始日は、専門家や関係者が会議で検討して発表する。寒くなると皆がこの情報に敏感になる。なんとも社会主義的である。 こちらのスチーム暖房(中国語では、暖気、暖気管と呼ぶ)は、エリアごとに一斉供給される仕組みで、事務所や学校などあらゆる建物に設置されている。新築マンションは、内装のないコンクリート打ちっぱなしの状態で販売するのが普通だが、暖房は水道や下水設備と同様、最初から設置されている。  暖房料金は居住面積に比例する。 私の自宅ではひと冬(四ヶ月間)で約3700元(約4万7千円)を支払う。 98年当時住んでいた河北省のアパートでは、隣人が暖房費を払っていなかったために、アパート全体が暖房供給をストップされたことがあった。当時のエアコンは暖房機能がなかった(冷房だけだった)から、家の中で家族全員が震えながらオーバーを着ていた。 水道から出る水が氷のように痛かったことが今では懐かしい。 現在では、北京政府の人道的配慮で、暖房費が未納であっても、住人がいれば、、暖房供給のストップはできなくなった。生活レベルはもちろん、行政サービスも確実に進化している。 ところで、この最悪の天気のときに、大雪山系トムラウシの悲劇を彷彿させる事件が起こった。 誰かを責めても仕方がない。異国の地で寒さに凍えた遭難者の冥福を祈るとともに、吹雪の長城で深夜未明から捜索にあたった150人もの救援隊員に感謝することのほうが重要だろう。(おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。 刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

12:福州の日本人ホームレス

2012年10月30日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.12

反日デモの報道の最中に驚くべき記事があった。四十半ばの日本人男性が、福建省福州市の駅で一ヶ月以上もホームレス生活をし、その間周囲の中国人から食事を与えられていたというのだ。 記事によると、彼は三ヶ月間前に所持金1万元(約13万円)程度で中国へ観光に来て、上海などを見てから福州にいる友人を訪ねた。しかし、あいにく友人は用事で日本へ戻っていたため一人で福州観光に向かった。ところが、駅で下車した時に、財布とパスポートを紛失したことに気づいた。言葉が通じないうえ、福州に知人がいないため、そのまま駅に留まりホームレスとなった。周囲の中国人は言葉が通じない彼を気の毒に思い、食べ物を提供していたのだ。これが最初に報道されたのは10月6日付けの海峡都市報だった。続報があったのは、国慶節が終了したあとの10月10日から12日にかけて。大使館の連休が終了し、めでたく(帰国のための臨時)パスポートが申請できる目処がたってからだ。ネット上には本人手書きの感謝の手紙が掲載されていた。手紙には、駅でホームレスをしていた間、福州市民はみな優しく接してくれた。一ヶ月間、食事の時間になるたびに、多くの市民が食べ物をくれ、数日前に冷え込むと厚手の衣服数着もくれたと書いてある。 記事を書いた記者は、既に彼を所轄の派出所へ連れていって(不法滞在にならないために必要な)証明書類の発行を手伝い、日本の上海総領事館にも連絡した。記事はそこまで。その後、この件に関する報道はこちらではされていない。 この話題は、デモのニュースが溢れる中で、中国のツイッターでも話題となった。  「言葉が通じないとはいえ、いくらなんでもこの時代になぜ?」という疑問や、安易にホームレスになることへの批判もあったが、多くは福州市民の人道的な行為を讃えるものだった。  反日デモで暴動をしたのも中国人。彼の財布やパスポートを奪ってホームレスにしたもの中国人。そして彼に食事や衣服を与えたのも中国人だ。日本のワイドショーや週刊誌が根掘り葉堀り報道するのにはうってつけの記事だと思うのだが。。。 (終わり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

11:ピンチの間にチャンスをつかめ

2012年10月16日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.11

 

日中関係は冷え切ってしまった。  訪日ツアーや出張は軒並みキャンセルとなり、日本航空と全日空両社のフライトキャンセルは計6万席になった。 このような状態では「これだから中国は信用できない」「中国とのビジネスはリスクが大きすぎる」と対中ビジネスからの撤退や規模縮小の動きもあるだろう。まして、平和産業である旅行業界では、重要ターゲットであった大陸の”富裕層”を棚上げして、東南アジア等にシフトする動きも進むだろう。 対中旅行業にとっては大きなピンチだ。 沖縄の琉球新報10月4日付け報道によると、沖縄県はこのトラブルで訪日ツアーをキャンセルした中国人旅行客は4300人で、那覇空港から出発する中国人旅行者の一人あたりの平均消費額8万7910円を踏まえて、損害額を4億円と推定した。 ちなみに、昨年度札幌市を訪問した中国人旅行客は6万4千人。 沖縄発表の消費額をもとに単純計算すると、昨年度一年間で56億円を消費していた計算になる。観光庁(中国では「日本国家旅遊局」という)が発表した4〜6月の中国人旅行客の平均購買消費額17万6534円で計算すると、ざっと113億円だ。 昨年中国から海外旅行をした人は、一昨年より22.4%増え7025万人に達した。だが、そのうち札幌へ来たのは0.1%にも満たない。北海道が人気スポットなのは事実だが、まだ始まったばかり。それでも56億あるいは113億を消費してくれているのだ。 この数字では、中国の海外旅行ブームの恩恵を受けていると言えるレベルにはほど遠い。 一方で中国国内のテレビ番組は、アメリカを旅行する中国人の平均消費額が7000ドル(約56万円)だと発表している。 道内では「中国人はなかなかお金を落としてくれない」と聞くが、実際にはもっと落としてもらう工夫が可能であり、かつ落としやすい人がまだ来ていないということだ。 北海道をより楽しんでもらい、しっかりお金を使ってもらえる作戦を、今のうちに着実に進めることが重要だ。北海道の経済活性化に大きく期待できることをより多くの人が理解して、中国人観光客の歓迎ムードをつくることだ。 そうして来たるべき真の北海道ブームの際には、万全の体制で臨み、気持ちよ〜く消費してもらおうではないか。 (おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

10:反日デモと暴動

2012年10月2日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.10

9月11日の尖閣国有化を受けて中国全土の100ヶ所以上で大小様々な反日デモ活動が行われ、一部は暴徒となった。 私は15日から17日かけて広州に行っていた。市内では道路封鎖が行われていたし、日系コンビニやスーパーの前には警備員が立っていた。 北京に戻ると、報道の通り、大使館周辺や付近のレストラン街はデモや警備、交通規制で混乱していた。  ジャスコでは日本食材コーナーが韓国製品に替わっただけで、通常営業をしている(26日現在、日本食材は販売を再開していた)。  青島のジャスコの割られた窓ガラスや、炎を上げる本田車販売店の写真がネットに投稿されているのを見たが、北京でそこまでの暴動は到底考えられない。  大連ではデモの発生すらなかったそうだ。  しかし山西省の平遥へ行った友人は、(チェックインにはパスポートが必要なため、日本人であることを伏せることができず)すべての宿で宿泊拒否に遭い、怖い思いをして慌てて(北京に)戻ったそうだ。  地域によって状況に違いがあるのが中国らしい。 一部には官製デモだという見方もあるが、それは(北京においては)あり得ない。日本よりも政治家の層も厚く人材も情報も豊富な中国共産党の中央執行部が、(いくらヤラセが得意だとしても)デモ隊を組織して外交カードに使おうなどという安易でリスキーな手段をこの場で選ぶはずがない。 ペットボトルや生卵などを配布したり、政府系の人間が紛れ込んでいたことは考えられるが、デモ隊に交渉可能なリーダーがいなかったからこそ、コントロールに手を焼き、(中国政府から)会社への通達や(個人への)携帯メッセージで広くデモ参加への自粛を呼びかけることまでしたのだと思う。 私の周辺の中国人にはデモの暴動を批判する人が多く、(私や子どもたちの)安否確認や注意喚起の連絡が相次いだ(何年も連絡が途絶えた親戚や、カナダに移住した夫の幼馴染から国際電話までかかってきたのには驚いた)。 新浪微博(中国版ツイッター)には、「医療や就労や住居等すべてに満足して他に問題がなく、本当に暇な人は(暇つぶしに)デモに参加すれば良い」という皮肉もあった。  南京大虐殺を否定する声がある日本に対し、戦後処理への不満があり、記憶として侵略被害経験のある中国で、庶民に対日不信感が根強く残ることは否定しない。 また、日本の反中デモの映像や中華系学校への放火騒ぎの報道を受けて「いま日本に行ったら日本人に殴られる」と心配して、訪日旅行を取りやめる人が相次ぐ現状からも、日本が理解されていないことが窺える。 そのような中で、(売国奴呼ばわりされるリスクもあるのに、敢えてこの時期に)「日本人は親切。嫌な思いは一切していない」と発信を続けている在日中国人たちがいる。我々平民は、そういう身近にいる中国人との相互理解を深め、共感できる絆を草の根でつくるしかないのかもしれない。(おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。 刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

9:40周年記念に思う

2012年9月18日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.9

 

今年は日中国交正常化40周年記念の年である。「日中国民交流友好年」として、日本の政界と経済界の重鎮の名前が連なる巨大な実行委員会組織をつくり、40周年記念行事を主催または認定している。 これだけ規模の大きな組織であるが、現在確認できる主催行事はというと、(1)2月16日の北京開幕式、(2)4月9日の蔡特使来日歓迎レセプション、(3)関口知弘氏の「中国縦断ふれあいの旅」の3つだけだ。 認定行事は無数にあるが、例年開催しているイベントに40周年を取って付けたようなものが多い気がする。 40周年が添え物のように扱われているような印象すら感じてしまう。 石原愼太郎都知事が尖閣諸島の購入云々で動き出したことがきっかけで、今年も中国のいくつかの都市でデモが発生し、ネット上は反日で盛り上がり、丹羽大使の公用車用国旗が奪われる事件まで起きた。2年前の漁船衝突事件では、民衆はもちろん中国企業も、不買運動や訪日旅行キャンセルなどで大々的に反日をアピールすることで真の愛国者として評価される雰囲気があり、反日一色で染まったような時期すらあった。 しかし今年はやや空気が違う気がする。そもそも中国国営テレビの報道では(それまでのように)「日本が」とは言わずに、「石原都知事が」「日本の右翼が」「アメリカが」と敢えて細かく(主体を)表現することに意図的な冷静さと慎重さを感じる。  石原知事に動きがあれば、翌日の新聞に載りテレビ番組に軍事専門家が登場して解説するが、それは敏感に反応しているというよりも、慎重に(やむなく?)対応しているといった印象だ。国内の安定や戦略がその目的だとしても、中国政府のほうが日本政府よりも日中間の平和と共栄をより強く望んでいるのかもしれない。 石原知事の動きに反感を感じつつも、この40周年という年を平和に過ごすために、無数の親日派や政府関係者らが動いている気配を感じる。 そのような状況で、主に日本人や日系企業向けのビジネスイベントにまで40周年という冠をつけることが適切なのだろうか。  先日、盧溝橋事件を連想させる日に七夕祭りを開く話を聞いた。日本人主催者らには悪意があるとは思わないが、ここでは「知らなかった」では済まされないことが多いし、下手すると溝を深めて状況を複雑にしかねない。 40周年の年だからこそ、より慎重に考え行動して、中国の人々に少なくとも誤解は与えないような配慮と認識が必要だと思うのは私だけではないはずだ。(おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。  刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。 現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

8:もうすぐ中秋節

2012年9月4日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.8

 

中国ではお正月を春節と呼び、旧暦(太陰暦、中国語では「農歴」という)で祝うことはよく知られている。その他にも多くの伝統行事を旧暦で祝う。なかには誕生日も旧暦で祝う人がいるので要注意だ。私も以前、暦を見たら義母の旧暦の誕生日が過ぎていて大いに反省したことがある。今年は閏年で、四月が二回あった。西暦との距離感を特に感じる一年だ。旧暦の8月15日は中秋節、今年は9月30日である。 日本でも中秋の名月や十五夜と呼ばれて親しまれている。ちなみに、道教に由来する中元(7月15日)とは別物だ。この中秋節の一ヶ月程前になると、老舗の菓子屋はもちろんのこと、ホテルやレストランなどがこぞって独自の”月餅”を売り出す。日本では月餅に季節感はないかもしれないが、中国では正にこの中秋節に食べるものなのだ。そして、日本のお中元と同様に、お世話になっている人への贈り物として月餅の大箱が中国全土で飛び交う。月餅は、バラ売りで一個数元の自宅向けのものから、数個入りで一箱500元を超える贈答用まで、多種多様だ。10年前は餡の種類が少なく味も素朴過ぎて、梅屋のシュークリームや、壺屋のケーキで育った私に合うものは皆無だった。しかしここ数年は各社が競って商品開発と研究を重ねてきたようで、買ってもでも食べてみたいと思える商品が出てきた。昨年はハーゲンダッツやスターバックスの月餅が値段も高く個性を発揮していた。今年は井村屋(の現地法人)までもが、カステラと月餅の贈答用セットを販売していた。以前、ホステルに宿泊中のお客様や北京在住の友人たちを招いて、「月餅食べ比べ品評会」なるものを企画したことがある。製造元や餡の味をいろいろ集めて順位をつけた。 抹茶味や珈琲味、ティラミス味やクリームチーズ味は良かったが、蟹ミソ味のような意図不明のものもあり、時代を感じつつ皆で楽しんだ。 最近は時間に余裕がなく(館内でのイベントは企画していないが)、中秋節には月餅を、端午節にはチマキをフロントで配っている。また春節は毎年餃子を茹でて振る舞い、一番大きなテレビをロビーに運んで春節晩会(中国晩の紅白歌合戦のようなもの)を流す。 うちのホステルは外国人よりも中国系のお客様が多い。実家で大家族と過ごすことが望ましいとされる伝統的な祭日に、北京で、しかもうちのような全室シャワー&トイレ共同の半地下ホステルで過ごしてくださるお客様に、ご縁と感謝を感じないではいられない。(おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。 刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

7:無料wifiで観光促進を

2012年8月21日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.7

フェイスブックに代表されるSNSは、中国では「QQ」と「新浪微博」が最大手だ。 QQはチャット式の会話や大容量データ送信に大変便利であり、昨年末にアクティブ・アカウントが7億を超えたらしい。同時にオンラインしている数は約1.5億という驚異的な数字だ。またツイッター型の微博(マイクロブログ、中国語ではweibo )は今年3月で3億アカウントを突破し、毎日の書き込み数は1億を超える。 ネット上では、日常ネタから政治ネタまであらゆる情報が書き込みされ、更にコメントを増やして膨張してゆく。 自分がフォローしている人の書き込みをチェックするだけでも時間が足りない。今年2月、日本人旅行者が世界旅行の果てに中国の武漢市で自転車を紛失した(実際には盗難)事件があった。これについて5万人ものユーザーが書き込みや転送をし、TVニュースでの放映につながり、わずか数日で事件を解決させるほどの影響力を発揮した。これは特殊な例ではあるが、要は使い方と使わせ方がポイントだ。 スマートフォンの普及にあわせ、北京市内の至る所でwifiが飛んで活用を促進している。 オフィスやホテルは当然ながら、空港でもマクドナルドでも公衆wifiが飛んでいる。市内では、職場でも、家でも、外出先でも、どこでもwifiの電波に囲まれた生活をしている。 大量の情報とアクセスフリーのインターネット環境に慣れてしまった北京のホワイトカラーたちは、日本に旅行すると、通信インフラ、特に公衆wifiの立ち遅れに驚く。地図や辞書などの機能を使うためにスマートフォンやipadなどを取り出してさあ調べようと思っても、日本の通信会社と定期契約しているユーザーしか使えない。もしくは高額な国際ローミング料金を支払わなければならない。場所によっては、電波すら飛んでいない。言葉が通じない外国で、その不便さは身にしみる。 たとえばJR各駅、宿泊施設、観光施設、レストランなどの商業施設とそれぞれが、まず自分ノエリアで無料wifiを旅行者に解放してみてはどうだろう。 その点が線になる面になると、より快適に北海道旅行を楽しんでもらえるに違いない。 (おわり)

PS:この記事を書いた数年後、東京エリアや札幌エリアで『外国人観光客対応」という名目の公衆wifiをいくつか確認したが、「実用的に使える」と思えたものは一つもなかった。逆に「当てにして失敗した」と恨み言のクレームをよく聞いた。私自身も試したが、少し移動すると切れたり、やっと繋がっても遅くて写真一枚アップできなかったりで、実際まったく使いものにならなかった(発注側も、受注側も、国内契約していない携帯やipadで検証してみたのだろうか?甚だ疑問だ)。現在は、中国出国時に海外向けのレンタル移動wifiを携帯するのが常識となっている。 

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。 刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

6:61年ぶりの豪雨で浸水

2012年8月7日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.6

北京の7月21日土曜日は、異様な日だった。昼過ぎから窓の外が急に暗くなり、2時前にはまるで夜のようになって雨が降り出した。 その日は旭川出身の駐在員が赴任する日だったので、夕食は焼肉「松岡」で歓迎会だった。5時に自宅を出たときは大粒の雨。  十分ほど車を走らせると、ワイパーを最速で動かしても何も見えないほどの土砂降りに遭った。食事中もずっと雨で、「通り雨の多い北京にしては珍しいね」と呑気な会話をした。 解散して一人になった帰り道、渋滞に巻き込まれた。その間も雨は激しさを増し、ドアを開けると路上でうねる雨水が車内に入ってくる高さになった。渋滞の原因となっていたのは、車体が水没してエンストしたバスや乗用車だった。  前のジープに続いてエンストせずにUターンできたときには思わず安堵のため息が出た。  しばらく走り、地下鉄工事現場の交差点に差し掛かった時、不自然に停車しているブルドーザーと多くの作業員を見て不吉な予感がした。雨水が(工事中の地下鉄駅に)流れ込んで一部が崩れてしまったことを後で知った。  私の主たる職場である安宿は半地下にある。 午後に一度無事を確認していたが、夜になって路上でバスが浸水するほどの大雨になっては影響が出ないわけがない。夜9時過ぎ、職場の裏の駐車場に着いた時に、フロントから緊急事態を知らせる電話が鳴った。すぐに中に入ると、廊下のあちこちで水をこぼしたような状態だったが、一面浸水しているわけではなく、最悪の事態ではないことに少しほっとした。 現場だと言われた客室に入ると、パジャマ姿のスタッフも交じり、全員でバケツリレーをしていた。  そのベランダは窓と同じ高さまで雨水が溜まっていたのだ。 窓の隙間から雨水が客室側に流れ込み、窓の下の壁部分も雨水がしみ込んでしっとりしていた。 屋根があってもなぜかこのベランダにだけ雨水が充満したのだという。 私もバケツリレーに加わり、ようやく底が見えて一段落したときには、深夜1時を過ぎていた。 それでも雨はまだ止まず、二時間後にはまた水が溜まり、作業をした。 ようやく雨が止み、空が明るくなった時、他のベランダにも5〜30センチほど雨水が溜まっていることが判明。 すべての排水作業を終えたときには夕方5時を回っていた。  政府の発表によると、(この雨による溺死など)犠牲者の数は77人に達した。ネットでは、車が水没してドアが開かない場合にヘッドレストで窓ガラスを割る方法が話題になっていた。 辰年は水が多いという。 今後の備えにと、宿に雨水専用の排水ポンプを購入した。あれからも雨の日が続いている。7月29日に晴れただけで、この原稿を書いている8月1日も雨だ。週間予報には雷雨のマークもある(6日現在、北京の天候は回復している。 4日と5日、雷を伴う通り雨との予報は幸いなことにも外れて晴れたが、雨雲が移動した地方の豪雨が報道されている)。(おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。 刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

5:ラッシュで知る優しさ

2002年7月24日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.5

 

北京で妊婦を経験したり、小さな子どもを連れて歩くのに慣れてしまうと、日本に帰るのが怖いと話す知人が多い。 北京で朝ラッシュの地下鉄やバスに乗るとき、ホームやバス停に溢れんばかりの人混みや、開くドアに一斉にどっと群がる状況を見たら、ドサンコの多くは恐れをなすに違いない。  東京の地下鉄で通勤ラッシュを経験した私でも、ここの通勤ラッシュの地下鉄やバスに乗る覚悟と勇気を持つまでに時間を要したし、今でも極力ラッシュの時間は避けている。そんな”戦場”に、妊婦や乳飲み子を抱えた人が乗車しようなんて無謀に思えるかもしれない。しかし実態は逆だ。特にバス。お年寄りや妊婦、乳飲み子が乗車してくると、若い人が当たり前に席を譲る。誰も気づかないときは車掌が促す。私も自分のお腹が目立つようになり、バスに乗るのが大好きになった時期がある。必ず座れるからだ。私は「謝謝」と言って、なかば当然の権利を獲得した気分で、気兼ねなく席に座る。乳飲み子を抱えていたときもそうだった。ちびを抱っこして、折り畳んだベビーカーを右肩からさげ、おむつや着替え等の入ったママバックを左肩から下げてバス通勤していたときなど、乗り降りのたびに何人の手を貸してもらったか数えきれない。 バスや地下鉄が代表的な例だが、妊婦や幼児を連れているだけで、いろんな場面で周囲に守られていると感じられるのだ。 誰もが子どもを大切にする。 レストランなどでは、スタッフたちも子どもに配慮してくれるし、周囲も「子どもがすること」とかなり大目にみる。 子どもが少し大きくなって悪さをしたとき、私がアタマをポーンと叩いたら、周囲の通行人から「子どもの頭を叩くなんて何事だ」と責められたこともある。 みんなが妊婦や幼児、お年寄りを自然体で大切にできる文化がここにはある。 残留孤児が生き残れたのも、中国だったからかもしれないとつくづく思う。(おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。 刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

4:「ニンハオ」と声掛けを〜北京国際旅遊博覧会〜下

2002年7月10日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.4

 

(前回からの続き) この博覧会では、各国政府系の観光局や自治体、航空会社等が、パンフやプレゼントの配布でイメージや認知度を高める作戦をメインに展開していた。 しかし、地元北京の旅行会社は違った。実際のその場でツアーへの申し込みをさせていたのだ。 大きなブースを確保し、自社のブランドやロゴを目立たせるようなデザインはもちろん、統一した衣装を来た百戦錬磨のスタッフがブース内を駆け回っていた。数字を上げるための壮絶な戦いが繰り広げられていたのだ。 後で聞いた話では、某旅行会社はスタッフ一人あたり、実質二日間で三十件の成約がノルマで、達成しなければ罰金が課せられたという。 なんともシビアな話ではあるが、以前に別の旅行会社の管理職から「利益(販売数や売り上げでなく)のノルマが達成できず、会社に給与を返還しなければならない」と聞いたことがあったので、驚きはしなかった。実力と成果時代で収入に極端な差が出るのも、この業界では当たり前になっている。  ところで、会場で特に話題に上がったのが、北海道へのチャーター便ツアーだ。北京の旅行社三社で座席を分割して、7月から8月にかけて、北海道へチャーター便を飛ばすのだ。今年2月の旧正月に実施された北京からのチャーター便は全便が旭川空港だったが、今回は千歳着が週2便で旭川着は週1便となった。 そこで旭川の皆さんにお願いがある。皆さん台湾や香港からの旅行客は見慣れているだろうが、中国本土の団体観光客はまた習慣も文化も言語も異なることを了解してほしい。中国本土はまだ海外旅行ブームが始まったばかり。日本もかつて最初の海外旅行ブームのときに、「旅の恥はかき捨てスタイル」で海外で酷評された時期があったはずだ。 そしてぜひ「ニンハオ(こんにちは)」と声をかけてほしい。中国からたくさん来てもらって、お金を気持ちよく落としてもらうための環境整備というのは、結局は迎える側の一人ひとりの気持ち次第だ。香港や台湾からの観光客を5倍10倍にするのは至難の技だが、中国本土からならそれが可能だ。「好き嫌い」でご飯は食べられない。 もしラーメン村が中国からのツアー客に占領されていたら、「短い滞在j中に世界で一番美味しい旭川のラーメンを食べに来てくれた」と誇りに思ってほしい。ちなみに、「美味しい?」は「ハオチーマ?」。答えは、「ハオチー(美味しい)」だと確信しているが。(おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

3:「北海道」で攻める〜北京国際旅遊博覧会〜上

2002年6月26日付 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.3

6月15日から17日までの三日間、「鳥の巣」で有名なオリンピック公園内の国家会議センターで、「第9回北京国際旅遊博覧会」(通称: BITE)が開催された。  主催者の発表によると、業界関係者で4万人、一般で10万人の入場者を数えたという。 世界各国の政府系観光局や航空会社等が出展して、観光のイメージアップやプレゼント作戦を繰り広げた。 日本は、日本ブースエリアとして護送船団式で出展する自治体と、単独でブースを出した自治体があった。 ちなみに旭川市は出展していない。 札幌市が単独で出展した「北海道・札幌」ブースでは、札幌市や(道)観光機構が製作した北海道を紹介するパンフだけでなく、「北海道ツアー情報セット」として、各旅行会社が実際に販売中の北海道ツアーパンフを集めて一緒に配布した。 旅行会社のパンフには具体的な料金や日程表がある。それらを見比べて自分に合ったツアーに申し込んでもらおうという作戦だ。来場者からは「北海道に行くならどの季節がいいの?」とか「ラベンダーは何月が見頃?」「何泊でいくら?」という具体的な質問が目立った。 もはや札幌市だけではカバーできない情報が求められている。 夏の北海道ツアーは、やはり富良野のラベンダーが最大のセールスポイントだ。 しかし、中国の旅行客にとっては、それが中富良野だろうと上富良野だろうと、どうでもいい。 全部まとめて「北海道」なのだ。 札幌は札幌、旭川は旭川などというなかれ。たとえ4泊しかない日程でも、札幌だけ観光というのはあり得ない。6日間、7日間のツアーとなると尚更だ。 お互い仲が悪いとされている九州勢が、「対北海道」では連携している(実際の敵は、ヨーロッパだったり北米だったりするのに)。狭い日本、もっと狭い北海道、おらがまち主義でなく、自治体どうしの連携と協調をベースにした戦略がなければ、世界が狙う中国の巨大マーケットでは太刀打ちできない。それを危機感を持ちながらしっかり認識しているからだろうか、札幌市のブースには、上海にある道の事務所からもスタッフが来て、一緒に質問に答えていた。 (つづく)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

2:「富裕層」という言葉

2012年6月12日発行 あさひかわ新聞「北京あれこれ」No.2

日本で「中国の富裕層向け」という言葉をよく聞く。観光PRや物販その他、あらゆる中国ビジネス関係者たちの重要キーワードになっているようだ。米のコンサルティング会社・マッキンゼーが2009年の報告書で富裕層の世帯年収を25万元(約325万円)以上と定義した。この金額が後に日本行き個人旅行ビザ発給の対象基準となり、年収25万元イコール富裕層を印象付けた。しかしその数年前に、テレビのトーク番組でアナウンサーが「年収5万元から50万元が中間層である」と断言していたのを覚えている。なんと層の厚い中間層であろうと驚いた記憶が鮮明に残っている。 公称10%前後(実質2〜3割と実感)で増える給与水準と生活物価を踏まえると、2012年の今現在、富裕層と呼べるのは、年収100万(1300万円)以上、資産1000万元(1億3000万円)以上が最低ラインだ。富裕層の他に「裕福な中間層」というくくりもある。これまでに団体の訪日旅行に参加して日本の品物を買い漁った人はおそらくこの層に含まれる。富裕層と呼ばれる人々は団体旅行を避け、友人や家族だけで勝手気ままな旅行を楽しんでいる。日本人が漠然と富裕層と呼んで想像しているのは、実際にはこの「裕福な中間層」なのではないかと思う。富裕層の行動パターンは、富に縁のない私の想像を超える。2005年に「ピカソは1枚欲しかった。 3000万円までなら買うつもりだった」と予算の3分の2、2000万円でお安く(?)落札した北京で会社を営む三十代の女性の発言は衝撃だった。 富裕層の年収や資産は、我々の理解を超えたスピードで膨張してゆく。彼らをターゲットにするつもりなら、その嗜好や特異性を真剣に研究すべきだ。彼らは「特別」「唯一」「独自」「最高級」「自由」「勝手気まま」などの言葉で表現されることが多い。ただしそれぞれが強い個性と感性を持つようで、十把一絡げには定義しにくい層だ。 北海道の恵まれた自然が、彼らを引きつける魅力を持っているのは確かだ。しかし、彼らを満足させ、”惜しみなく消費してもらう”ためには、さらに周到な配慮が必要だ。日本人のサービスレベルとホスピタリティ、技術と知恵を存分に生かす必要がある。 「富裕層の皆さん来てください」とただ繰り返すのでは、話にならない。(おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。 刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。

1:北京で感じる北海道〜日本式焼肉店「松岡」

2012年5月29日発行 あさひかわ新聞「北京あれこれ」No.1

はじめまして、nanbenです。 中国に住み始めて早や14年(ときどき故郷旭川で充電)。気がついたら仕草も思考も中国式です。この特殊な立場と視点から記事を書きますので、どうぞよろしくお願いします。

初回は、私が「北京で頑張る同士」と勝手に決めている日本式焼肉店「松岡」をご紹介したい。  松岡は、2005年に開業し、後に今年日本大使館が移転してきた辺り、ラッキーストリートというレストラン街に店を移した。 日本式をかたる店はいくらでもあるが、ここは北海道を代表する焼肉のたれメーカー、ソラチが経営する店だ。支配人もどさんこで、実家は緑ヶ丘にある。店内で炭火焼き用に使われる木炭の段ボールに「旭川」の文字をみたときには「木炭よ、はるばる旭川からご苦労さん」と心の中で叫んだ。 ここ北京で店舗を構えるというのは、並大抵のことではない。上海なら、五万人を超える在留日本人とそれに慣れた一部の中国人だけを対象にした局地的な日本式ビジネスが存在し得る”ゆるさ”がある。しかし、日本人がせいぜい1万人と言われる北京で同じやり方は通用しない。 それに、北京は地域ごとに違う規制や審査基準が、おそらく中国で最も厳しい。 首都の安全はすべてのものに優先される。中国全土を見据えた場合、上海ではなく、やはり北京が重要拠点であることは間違いない。なぜなら、中国全土から優秀な頭脳を持つ人材が集まる政治の中心なのだ。  世界中から研究機関が集まるのも北京の特徴だ。そんな北京で、幾多の店が盛大に開業しては静かに消えていった。  このエリアでも日本式焼肉店が雨後のタケノコのように増殖している。しかし二年後も残っている店はいくつあるだろうか?一寸先は闇、誰もがリスクとトラブルを抱えている。 次々に湧き起こるハードルを超え続けて営業が出来ているうちは、それだけで成功と言えるのだ。 北京広しといえども、どさんこが常駐している本当の意味での「北海道企業」の進出成功例といえるは、(今のところ)この松岡だけかもしれない。ちなみに一人当たりの予算は二百元(日本円にして約三千円)ぐらい。 中国人客が半数を超える。今後も増えるだろう。(おわり)

(おことわり)すべての内容は、当時の個人的な感想です。刻々と状況が変わる北京では、過去の情報は思い出にすぎません。現在の状況とは異なる場合が多いことを予めご了解ください。