一難去らずに、ゲストハウス廃業?

2020年7月14日 北京あれこれ(139)

 中国には、「公共の緊急事態のための国家緊急対応メカニズム」というものがあり、自然災害・事故災害・公衆衛生事故・社会保障事故の四つのカテゴリーごとに、それぞれ四段階に区分されている。四級(青)は通常、三級(黄)と二級(橙)は大災害・大事故、一級(赤)は異常事態を表している。

 北京は長らく二級だったが、全人代が無事終わり、六月一日から学校への登校が徐々に解禁されて三級に落ち着き、六月十五日からは全学年の登校が許可されるはずだった。

 ところが、その直前に北京市民の台所、新発地市場のサーモン用のまな板からウイルスが検出されたと報道された。十三日、ほぼ全てのスーパーの店頭からサーモンが消え、あっという間に第二波と思われる感染が拡大した。市内のすべての学校が再び登校禁止になり、一瞬緩みかけていた北京の街角の雰囲気がまた張り詰めた。

 レストラン、理美容、ホテルなどで働く人と、感染者の発生した地区では、PCR検査が半ば強制となった。六月二十四日の報道によると、北京の一日あたりの検査能力は四万人から三十万人に増加し、「少しでも可能性がある人はすべて検査をして早期発見、早期対処」という日本とは全く別の方針で、本気で「コロナゼロ」を目指している。

 ところで、私の管理するゲストハウスは、六月十二日朝、百三十九日ぶりにエントランスの施錠を外して営業を再開した。許可が下りたのは本館部分だけで、満室になったとしてもコストの半分にも満たないが、営業が再開できることの有り難みをしみじみ感じた。

 しかし、七月七日(盧溝橋事件の日)、登記上の所有者である首都経済貿易大学側から、宿泊施設として登記した会社を解散することにしたという連絡があった。コロナを耐え忍び、やっと営業を再開したと思ったら、突然の閉鎖命令。まさに一瞬先は闇なのだ。

 そもそも賃貸は、〇九年に他界した夫が契約したものを、法人代表が人道的配慮で私に引き続き運営させてくれていた。しかし、その法人代表も急逝した。外国人の私は表に立てないので、石家荘の兄に、大学側との交渉を頼むことになったが、どうなることか…。

 夫から事業を引き継いで十一年。三歳だった次男も十四歳になった。この間、嘆いたり悲しんだりする余裕もないくらい「一難去らずにまた一難」や「一難去ってまた三難」の繰り返しで、図太い神経とリスクを察知する嗅覚を養うことができたと思う。最後は感謝の気持ちで清々しくここを去りたいと考えている。