静かな誕生日

2020年6月28日

今日のカフェーバースペース、13時から待機して22時を回ったが結局ゲスト無し。今日は誕生日なので、24時まで待たず日付が変わる前に帰宅としよう。

宿泊のほうは初めて稼働率二桁台に!現在12.73%、小さなことでも喜びを感じられるのは良いこと、幸せな証拠だ。

スタッフのPCR検査、一部はすでに結果が出た。6人中4人、いずれも陰性。2人はまだ出ていない。ちょっと心配。

今日はもう帰る。

熊出没倶楽部、スタート

2020年6月27日

25日(旧暦の端午節)

夜8時から翌朝8時までフロントの夜勤、いろいろ考えた。例年の端午節は、チマキを大量に購入してスタッフ&宿泊客にプレゼントしていたが、今年は資金難なうえに、チマキの値段が例年より高いので断念した。無念。相変わらず客足も全く戻らない。

7月1日を目標にopenしようと思っていたカフェバースペース”熊出没倶楽部”をすぐにでも開くことを決意、ウイチャットのモーメンツにて告知。反応はまずまず、友人知人から声援や冷やかしをもらった、私は強運だ。前向きに頑張らなくては。

26日(金)

朝8時、夜勤が開けて一旦帰宅。着替えたり家事を少しして14時には職場に戻る。17時、「北京うちらなまらファイターズ」の団長が来てくれた。ファイターズの試合を一緒に観戦しつつ、ビール&ハイボール&アイスコーヒーなど、ご祝儀代わりにいろいろ飲んでくれた。感謝!

その後はフロントの夜勤へ。新規宿泊客ゼロ。稼働率はずっと一桁台の前半(涙)。

27日(土)

朝8時、フロントを交代して帰宅。家では簡単な家事をして食事を作って子どもたちに指示を出す。

10時、マネージャーから電話。当局の指示で、スタッフ全員にPCR検査が義務付けられた、本日14時に全員検査機関に行く必要があるとのこと。「とうとう来たか」という思い。レストランで働く日本人知人はすでに呼ばれて検査を受けたと言っていたので、もうすぐうちにも通達がくるだろうと心の準備はしていた。

13時、事務所に到着。毎日フルタイムで働く6人が揃って検査へ行った。結果は48時間後になるらしい。

14時、丁未堂のお頭とカメラマンの田中プロがお花や使えるグッズを持って”倶楽部”にお祝いに来てくれた。時々連絡をして近況の情報交換をしていたが、実際に会えたのは半年ぶり。すごく嬉しかった。感謝、感謝。

19時、そのまま大学校友会の北京支部幹事グループのオンライン飲み会に参加。

21時、お客さんが来ないかなあ〜と、プロジェクターを見ながら待つ。テレビのチューナーに繋いでみだら、玉置浩二ショーが放映されていた。ラッキー!!!旭川で三浦綾子記念文学館設立準備ボランティアの会が主催したコンサート「風と木々のハーモニー」から24年が過ぎた。玉置さんには「旭川劇場」で二日間、夜と昼に二回のボランティアコンサートをしていただいた。歳月と共に物忘れがひどくなったが、あの日々だけは、ほとんどすべて鮮明に覚えている。反省することばかりだけれど。。。

ほぼロックダウン、全市民PCR検査も近い@北京

2020年6月23日

北京から車で出る場合、7日以内に発行されたPCR陰性証明が必要になった。車はダメかと思っていたら次は鉄道、北京からの乗車は同様に証明書がないとダメになったらしい。これって、「陰性証明書がない人は北京から出るな」ってこと。ほとんどロックダウンに近い。隣接する河北省から出勤している人たちは、「毎日通勤していることが証明できれば」検問超えができるそうだ。その証明が面倒そう。。。

ちなみに、PCR検査の陰性証明書の有効期限は7日間。7日を過ぎると無効になるので取り直さなくてはならない。費用は180元(約2700円)程度。

そして、1日あたりの検査能力は4万人から30万人にアップ、6月11日から10日間で234万人分も検査したそうだ。このスピードでは日処理件数100万件も近い。もしも第三波が来たら、北京全市民(全住民)徹底検査も現実になりそうだ。今は検査してもらうにには予約が必要、一週間待ちらしい。

コロナだけでなく、急病や事故などにも通常より気をつけなければならない。病院は基本予約制、発熱を伴う場合、PCR陰性証明がないと診察もしてもらえないそうだ。第二波が発生した「新発地市場」のトップ(地元豊台区の副区長でもあった)が速攻で解任されたスピード感と、検査体制の更なる拡大・充実、政府の本気度をひしひしと感じる。日本のなんちゃって&とりあえず対応を見ていると、未来が危ういのはどっちだろうと悩んでしまう。


営業は再開したけれど。。。

6月12日に営業を再開して10日ほど。コロナ第二波の影響で館内は閑散、昨年の同時期と売り上げを比較すると6.67%ですって!つまり93%減収。4ヶ月休業のあとがこれ。ため息ばかり。

事務所で断捨離。3つあったデスクは1つにして、半分をカフェバースペースに。客室の稼働率が一桁台なので、ドリンクの提供で少しでもアップできれば。。。ただし、今の北京のこの雰囲気では「是非来てね」とは言いにくい雰囲気。政府の発表を待つのが無難かなあ。

昨夜は久しぶりに自家用車で荷物を運んだ。エントランス前は駐車禁止、見つかると減点3点(12点減で免停)と罰金200元(3000円ほど)なので、一旦停めて荷物を出し入れする時は深夜にこっそり。契約している大学敷地内の駐車スペースには入れてもらえないので仕方ない。今は大学が封鎖されていて、車を停めるのには学校長の特別な承認が必要なので。。。おそらく北京の他の学校も同じだろう。

事務所を出ると深夜2時少し前。久しぶりにカーラジオをつけると、ちょうど番組が終わるところで、エンディングに那英の「 相见不如怀念」がかかった。この曲は飛鳥涼さんの「Girl」の中国語版。中国の大物歌手である那英が中国語の自ら歌詞をつけて歌った。歌詞以外、メロディーその他はそのままみたい。

98年から中国に住み始めて、99年に那英のアルバムに収録された中国語リメイク版が大ヒットした時代を過ごした。歌詞は全然違うはずだけ、どメロディーがものすごーく素敵だから中国の人の心にも残ったのだと想う。2020年に6月21日深夜(というか22日午前2時)に一人で運転して荷物を運んで、目の前の現実と格闘していた。しかし、この曲が流れてきたので、反射神経で頭の中の時間が遡って当時の記憶、光景がよぎった。

今日は、感情が込み上げてくるのを抑えきれず、飛鳥さんのオリジナルと那英や张碧晨が歌う中国語リメイク版を何度も聞いて過ごした。それにしても、20年過ぎてもまだラジオで聴かれている、こんな凄い歌を創る飛鳥さんって、ほんとに凄いなあ〜。

営業再開3日目

<北京ディスカバリーユースホステル>

営業を再開したばかりなのに、コロナ再発のニュースと対応で忙殺される。客室の稼働率は7%(泣)、感染防止のために注意を喚起、自分も市場への買い出しは控えよう。実際のところ、最近は安全性の高い、スーパー(イオン、HEMA)しか行っていない。昨日閉店間際のHEMAに行ったら、サーモンすべて姿を消していて、今日はわざわざ「産地買い付け、ブランド直送、供給保障、価格安定を堅持しているので、安心してね」というショートメッセージが届いた。

北京への旅行や出張の制限が始まった。レストランでの会合もダメになった。友人との食事はもちろん、会うのもはばかられる状態に逆戻り。

午後、子ども連れの若いママさんが予約を入れてくれて来店した。当局の指導により、チェックインの際に、体温測定と14日間の行動履歴確認が義務付けられている。ママさんの行動履歴には、感染地域を通過したことが記録されていた。この場合、PCR陰性証明がないと受け入れられない。残念ながらキャンセルしていただくことに。

今日は館内の写真を撮影、内装手直し作業はなし。もうすぐ10時、明日からまた早いのでそろそろ帰宅。

北京でコロナ再発

昨日営業を再開したばかりなのに、北京の新発地市場関係者でコロナが発生。これまでのような外部から北京に来た人ではなく、北京在住の人の感染発覚により、せっかく経済の立て直しに前向きに取り組む雰囲気が一変、緊急体制に逆戻り。

営業を再開しておいてよかったね、と店長に言われた。もし昨日踏み切ることができずに待っていたら、再スタートのチャンスを逃して廃業確定へまっしぐらだったかも(今だって廃業=破産と背中合わせだけど)。

昼間は閉鎖中の別館の内装手直し、壁や壁紙の補修、錆びた水道管のペンキ塗りなど。やることはいくらでもある。

139日ぶりに営業再開

<北京ディスカバリーユースホステル>

138日にわたる営業自粛を経て、本館(13室)のみ営業再開。5月末にすべてのスタッフが戻り、6月1日から開業準備、別館の出入り管理が難しいため許可がなかなかおりなかった。このままでは閉店五ヶ月、そのまま資金不足で廃業となりかねないため、ひとまず問題のない本館(13室)のみで営業することにした。

営業再開の声に、スタッフ全員から拍手をもらった。私よりもスタッフの皆さんのほうが開業を喜んでくれているようだ。私の場合、閉鎖=全額赤字、開業=赤字が減らせる可能性もあるが、いつもの北京ルールいろいろで24時間ハラハラドキドキの生活に逆戻り、万が一にもコロナの感染に関わってしまったら。。。と考えると正直複雑な心境。

138:小中学校が再開

2020年6月9日 あさひかわ新聞 北京あれこれNo.138

 六月一日、中学二年生の次男が北京日本人学校に登校した。だが、全学年で一斉に通学が許可されたわけではない。受験生優先のため中学三年生は五月十一日から、小学六年生と中学一・二年生は六月一日から、小学四・五年生は六月八日からと段階的に通学が許可された。小学低学年への通学許可はまだ出ていない。
 北京市内はすでに「低リスク地区」と判定されているが、学校などはクラスターが発生しやすい環境にあるため、政府は慎重すぎるくらい慎重に少しずつ許可を出している。倒産や失業を抑えるために生産現場などの企業活動はおおむね解禁したが、学校の場合はオンライン授業が定着してきたこともあり、通学の完全回復は後回しになっている。
 以前の登校時には、警備員と教頭先生だけが校門前で子どもたちの登校を見守り、他の先生は校舎内で授業の準備などをしていた。しかし、今は、㈰校門前で児童生徒が持参した毎朝晩の体温や健康状態を記入した表をチェック、㈪サーモグラフィーによる検温を通過して校門内へ、㈫校門内で、非接触型体温計による検温という三段階チェックをパスして初めて校舎内に入れるという徹底ぶりだそうだ。
 次男が前回登校した最終日は一月二十三日。一月に北京日本人学校に転校したばかりで、通学したのは七日間。そして春節休みとコロナ旋風で、実に四カ月以上も自宅にこもっていた。友達を作る機会もなかっただろうから、クラスメートや先生に会えないことをさほど寂しいとは感じていないようだった。それでも、通学するようになって生活のリズムも戻り始めた。学校で先生方や同級生たちと実際に交流することで学べることも多いはずだから、このまま通学が継続できることを願っている。
 話は変わり、私が管理しているゲストハウスは営業自粛による閉鎖から四カ月が過ぎた。六月一日にはスタッフ全員が無事に戻ったが、構造上の原因で営業再開の許可はまだ出ない。周辺のホテルは破産以外は営業を再開し、新しいホテルへの加盟も増えているが、うちは遅れをとっている。
 閉鎖中の四カ月間の家賃は免除されたが、赤字は膨らむばかりだ。コロナの影響で世界中で既成概念や価値観が変わりつつある。私自身は何を守り、何を手放すのか、過去と未来の人生について問われている気がする。